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困ったことに、運慶は、次の晩も、その次の晩もやってきた。雨が降ってもやってきた。何回も通うようになって、もはやお寺にも、造仏所にも知れているのではないかと思えたが、運慶は構わなかった。男の性といえばそれまでであるが、ミツ姉とともに過ごす時間は、もはや他に得がたいものであった。
しかし、やはりお寺には知られてしまい、その上、当て推量で、女と会っているようだと他の者に言われ、お寺の長老格にまた厳しく怒られてしまった。確信犯であるので、言い訳もできない。お寺では女犯は重い戒めであるから、追求も厳しい。一度ならともかく、度々となっては、破門でも文句は言えない。「当面、寺を出ること相成らぬ。」と沙汰が下って、一応、破門は免れた。運慶は破門でも構わないのだが、父康慶に、破門になったとはさすがにいえないので、胸を撫で下ろした。
堂衆仲間は言った。
「もっとうまくやれよ、運慶。」
堂衆は、このくらいのことでは、「へ」とも思わないのである。
運慶は、(嘉応二年まで)都合三年程、堂衆生活を送ったが、お寺の長老格には怒られるばかりで、最後は追い出されるような形に近かったという。ただ、堂衆の中では、運慶は人気者であり、運慶からいっても同じ釜の飯を食った、否、「同じ釜の飯を炊いた」知己が増えたといえる。
最後には、
「また来いよ。」
そう言って皆に送られたのである。
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