超絶技巧の男

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超絶技巧の男

運慶は、一刻ほど、歩き廻った後、造仏所に戻った。おかしなことに、その辺に誰もいない。どうやら作事の板間に皆が集まっている。そして、そこには、またしても重源聖の姿があった。 「これはこれは、聖人様。先程はどうも・・。」 重源に対して、丁重な対応を、造仏所の棟梁である康慶がすでにしていた。 「なんじゃ、その失礼な言い草は! 三年もお寺にお世話になって、そんなしゃべり方しかできんのか。」 運慶は、もう、嗜める康慶と目を合わせず、余計なことを云わぬが善と口をつぐみ、部屋の隅に、他の工人たちと並んで座った。 一人の男がいた。髭と髪の剃り跡が青く目立つが、色白で優しげな男である。正座している姿勢が良い。年は、運慶と同じくらいか一つ二つ若い。 男は、用意された太さ一尺五寸、長さ三尺ほどの檜の塊に向かって、鉈を入れようとしていた。すなわち、造仏にかかるところである。 となりの定慶が小声で教えてくれた。 「弟子入りの者なんじゃが、此度は、聖人様が手ほどきをした弟子を使ってやってくれ、とのことじゃ。」 男は、衣の袖をまくり、襷をかけていた。材に形描きの筆も入れていない。しかし、なにも迷いなく、大胆に鉈を振るっている。やがて、材を横にして、鑿を入れ始めると、阿弥陀様であることが見えてきた。まだ大きい平鑿だけを使っているが、どんどん造形が明確になってゆく。まったく澱みがない。蓮台と尊像の概形がわかるようになったら、少し細かい鑿に持ち替えて、尊顔の細部を彫っていく。鑿をたたく玄能の加減が実に細やかである。強く叩いたかと思うと次には軽く、次には程よく、刃先は、玄能で叩いているとは思えないほど滑らかに木に入っていく。 とてつもない技量の持ち主であることは、皆、もう理解した。もしかしたら、修行のため、阿弥陀如来を何度も作っているのやも知れぬ。ただ、それにしても手と身体を使う器用さは、尋常ではない。一廉の仏師でも苦労する螺髪や衣文なども容易にこなすであろうことは見て取れた。 康慶は、男が御仏の尊顔の表情を彫ったところで、止めさせた。 「わかった。たいした手つきじゃ。重源聖のご縁でもあるし、弟子入りを許すとしよう。」 造仏所の仏師・仏工連中はざわざわとささやきあった。 重源は言った。 「快空よ、ここで腕を磨け。儂には、とっくに教えることがなくなっておるでの。」
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