超絶技巧の男

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また、連中はざわめいた。「重源聖も、造仏なさるのか・・。」そんなささやきであった。 「確かなことは言えぬが、康慶殿の作風が、お主には合うであろう。精進するが良い。」 「は、此度のご深慮、誠にかたじけのうございます。」 男は言った。四半刻ほど造作した後も、汗もかかず涼しい顔をしている。 数日程の後、快空は、康慶から 「快慶と名乗るが良い。」 と、一門の慶の字を名乗ることを認めた。弟子入りは過去にもあるが、即戦力を認めるというのは珍しい。異例といえば異例である。そして、半ば冗談として、 「うちの運慶にも、手ほどきをしてやってくれ。」 と言った。運慶も一緒にいるときのことだったので、運慶は憤慨した。 快慶は、運慶がどんな造仏をするのか知らなかったが、 「そんな・・、恐れ多いことでございます。」 と逃げてはおいたが、康慶は運慶にけしかけるつもりで言っているのだろうと理解した。 もっとも、堂衆修行入門前の運慶になら、 「うちの運慶にも、手ほどきをしてやってくれ。」の後に、「あのバカが!」という捨て台詞が付いたのだが、堂衆修行後の運慶は、少し、変化が見て取れるために、康慶はこの言葉は飲み込んだのである。 造仏所の中で、快慶は、いったいどこで手ほどきを受けたのか、という話題になった。快慶は、話した。 「私は、紀伊の国の田舎の寺の子でした。貧しい故に、いつも寺から出たいと思うておりました。ある時、里に聖人様が来られて、聖人様が彫られた御仏を見て感動し、そして御仏に纏わる物語を聴かせていただき、そのような深い世界が仏像の世界にあったのか、と。今までただの置物にしか見えなかったものが、まるで語りかけてくるかのように感じるたのです。それで、私も、御仏を彫りたいと思い、聖人様に少しだけ手ほどきをいただいたのです。」 「なるほど、あの聖人様から・・。」 仏工の誰かが言った。 快慶は、その後、時々里を訪れる聖人様に可愛がってもらったらしい。教わるということは、その時間の長短によらないというが、まさに快慶は重源から造仏の最も大切な心髄を授かったのであろう。技巧と知識は、ほぼ自分で身につけたものに違いない。
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