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 彼の腕が優しかったから。わたしの頭をずっと撫でてくれていた彼の手が、温かかったから。  高校教師だった彼に引き取られたあの日から、わたしは彼に付いてきた。  彼が、日本史の先生だったから日本史が好きになった。  彼が、伊達政宗公を好きと言えば、わたしも好きになった。  彼の持ち物に多く描かれていたワンポイントのトンボを見つけて、わたしは聞いた。 「トンボが、好きなの?」  優しく微笑む彼が教えてくれた。 「トンボは、不退転の象徴なんだよ。だから、好きなんだ」 「じゃあ、わたしもトンボを好きになる」  そう答えたわたしに彼は笑っていた。  トンボが好き、と言う彼の目は、いつも真っ直ぐ前を見据えていた。その目は、遠い先を見つめているように思えたけれど、何を映していたのだろう。  不退転とは、決して後ろには下がらない。前進あるのみ、という意。決して振り向くことなく前を向いて生きていく、という決意なのか。  いくつもの季節が廻り、わたしは二十八歳、彼は三十八歳になっていた。  
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