一章 望降ち

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「そーお?無理しちゃだめよ?草町くんにだってテストとかレポートとかあるんだし、無理なときはバイトもお休みしていいんだからね?」 「はい。ありがとうございます。おかずも」 「うんうん。たくさん食べてちゃんと栄養を摂るんですよ?」 「はい。失礼します。おやすみなさい」 「はい、お疲れさまでした。また水曜日にね。おやすみなさ~い」  おばさんに見送られてマンションを出る。いつもは崇子さんも見送りに出てきてくれていたが、今日は気恥ずかしかったのかもしれない。  それにしても、女子高生に指摘されるなんて。そこまで悩んではいないつもりだったのだが、慣れない事をしているせいか本調子とは行かないようだ。  慣れない事をするのは疲れる。誰かを意識することがこんなに振り回されるものだとは知らなかった。  そういえば、小野は何時頃来るのだろう。携帯を開くが、着信もメールもない。大学でも会わなかったから、まだ今日は顔も見ていなかった。僕の帰宅が遅くなることは知っているはずだが、こちらから連絡をした方がいいのだろうか。  小野は新聞配達のアルバイトをしている。伯父さんの紹介だとかで、朝刊、夕刊、はたまた牛乳などなど、テストや課題のためにシフトを融通してもらう代わりに便利に使われているらしい。彼のバイトは不定期だから行動が予測できない。 「……やめた」  開いていた携帯を閉じて鞄にしまい、モノレールの窓から都心程ではない、民家の灯りに照らされた夜景を眺める。  小野小町のように、待てるだけ待つと言ったのは昨日の僕だ。あの時代の女性が男を待つ切なさや寂しさや、待ち遠しく思う恋情はわからないけれど、いつ来るともしれない相手を待ち続けるために覚悟が必要なことだけは、少しだけ理解できた気がした。
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