一章 望降ち

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 十六夜の月が昇る静かな街に、遠くスクーターのエンジン音が響いた気がして、重いまぶたをゆっくりと持ち上げた。蛍光灯の明るさにすぐ目を閉じて、開けてを繰り返す。  手元にある本を認めて、あぁ、読書の途中で寝てしまったのかと現状を把握していると、呼び鈴が鳴った。  まだ半分寝ぼけた頭を動かして時計を確認すると、針が示していたのは午前三時十二分。何度瞬きしても秒針が進む以外に変化はなく、こんな時間に来客なんて呼び鈴が鳴ったと思ったのは気のせいだろうか、と思っていたら机の上に置いてあった携帯が震えた。  立ち上がって携帯を開くと、小野からのメールだった。本文には「寝ちゃった?」と一言だけ。携帯を持ったまま踵を返し、ドアに向かう。鍵を開け、チェーンを外してドアを開ける。 「ごめん、遅くなった」  小野が、申し訳なさそうに笑う。ドアを開けて彼の顔を見たまま動かない僕の目の前で手を振る。 「やっぱ寝てた?ごめん、起こして」 「……あぁ、わるい、もうおきる」 「ふふ、いいよ。もう帰るから。すぐ布団に入って寝直しなよ。遅くなるのわかった時点でメール入れようと思ったんだけど、結局できなくて、」  困った様に笑う小野の額に手を伸ばす。うっすらと汗で湿っていた。 「くさま、ち?」 「……いそがせてわるかったな」  仕事を終えて、疲れて、すぐに帰って寝たかったろうに。  前髪ごしに覗く目が、少し驚いているように見える。どうしたんだろうと思ったら、伸ばしていた手を掴まれた。 「そんなことない。二日目にして待たせちゃって、ごめんね。待っててくれてうれしかった。ありがとう」 「やくそく、だからな。まてるだけまつ」 「うん。オレも、約束守るから」  小野が笑う。僕が知っているとびきり嬉しい時の笑顔で、ほんの少し、瞳に覚悟みたいなものをにじませて。 「好きだよ」  小野が目を細めて笑った時の目の色はいつもより一際綺麗で、もう少し見ていたかったけれど、笑って差出された二枚目の札を放置するわけにもいかなくて視線を外した。
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