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「何を言っているの。私たちは今こうしてお互いを見つめながら言葉を交わしているじゃない。縁が繋がったのよ。極端に言えば、誰かとすれ違っただけでも、その人とすれ違う偶然、という名の縁で繋がっていることになるわ。もちろん、永続的じゃない縁なら、次第に糸が薄れて消えるということもあるでしょうけれど」
私は右肘を回したり、そこから延びている糸を引っ張ったりしてみた。女性の肩と繋がっている糸は、伸びたり縮んだりするものの、切れることはなかった。
握っていたハサミを机に戻した。その瞬間、見えていた一切の糸が視界から消えた。
夢か幻覚か。でももし本物なら、これさえあれば……
「いかがかしら?」
私の心の動きを察知したのか、女性が微笑みながら尋ねた。
「これがあれば、本当に、切れるんですか」
「信じるかは、あなた次第。でも、誰かとの縁を切ることは、その人の人生の一部を切り取るということよ。あなたにその重みを背負う覚悟はある?」
女性は、私の目を覗き込むように言った。思わず一瞬ひるんでしまったが、
「あなたと出会ったことも、縁、なんですよね?」
と問い返した。すると女性は、少し驚いたように目を見開くと、小さく笑った。
「そうね。じゃあ、その縁を記念して、少しお安くしておくわ」
「遅い。朝礼はとっくに始まっているぞ」
出勤して、まず怒られた。とにかく必死に頭を下げてその場をやり過ごしたが、頭の中はハサミのことでいっぱいだった。
ロッカールームで鞄を開き、ハンカチで包んだハサミをそっと覗いた。夢ではなかった。ハサミに触れる。その瞬間、自分の体から、また電線のように何本もの線が出ているのが見えた。壁へロッカーへ天井へ床下へと、あらゆる方向へ糸は伸びている。四方八方に縁のある人がいるということなのか。確かにこの会社に入ったのも縁なのだろう。他の部署の人ともすれ違い縁などがあるのかもしれない。
昼休み、試すのにちょうどいい機会を思いついた。
いつもトイレで遭遇する女がいる。他の部署で名前は知らないけれど、腰まで届くほど髪の長い女。この女とはよく昼休みの中盤、なぜかタイミングよくトイレで鉢合わせる。それだけなら別に害はないのだが、彼女のまき散らす強い花の香りが不快で、さらに鏡越しに目が合うと舌打ちをされるのも不快だ。女とはトイレ縁が繋がっている気がする。
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