叙情小曲集

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 私がこの街に引っ越してきたのは、父の浮気が発覚した半年後のことだった。それまで私は何不自由ない家庭で暮らしていたと思う。どこにでもいるような会社員の父と、週に三回パートにでる母と、都立中学に通う私。喧嘩はしないし、かと言って無駄にベタベタはしない。そういう、ドライな関係だったかもしれないけれど、大きな問題はなかったように思う。  最低限な会話はしていた。食事は一緒に食べていなかったけれど、それでも一日に一度は父親の顔を見ていた。ああ、でも。最後に彼から私の名前を呼ばれたのは一体いつだったろうか。それは今になっても思い出せない。  その日は学校の委員会で帰るのが遅くなってしまった。お腹はペコペコで、早く家に帰って晩御飯を食べたかった。自転車を全力で漕いだら九月の残暑で汗だくになってしまった。べったりと背中に張り付いたブラウスが気持ち悪い。ご飯の前にシャワーを浴びたいな、なんて。  その時は、いつも通りの日々がいつまでも続くと思っていた。
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