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「わ……嬉しい」
文香は素直に喜び、男の言葉に従って、栄養ドリンクを飲んでまた横になった。
「一紫さん」
黙って部屋を出て行こうとする男を、文香は慌てて呼んだ。
「ん?」
「その……、しばらく隣にいてもらっても、いいですか……?」
控えめなそのお願いに、一紫は黙って彼女の枕元に移動した。
「これでいいかな?」
床に直接座り込みベッドに頬杖を突いた体勢で、一紫は指先でそっと文香の頬に触れた。
女は嬉しそうに微笑み、「はい」と答えた。
その笑顔はやはりどこか元気がなくて、相手が再び眠りに落ちるまで見守っていた一紫は、その寝顔を神妙な顔つきでじっと見つめた。
―― 会社で、何かあったかな……。
いつも正直で素直なところが文香の魅力だったが、自身のトラブルはなかなか打ち明けようとしない所があり、また辛いことや悲しいことがあっても、それを限界まで耐えようとする性格でもある。
そういう所もいじらしく愛おしいが、いつも隣で見守っていたいと願う一紫からすれば、彼女のこの性格は厄介でもあった。
―― 何があったか訊ねても、この様子じゃあ、すんなりと打ち明けてはくれそうにないな……。
だが、吐くというのはどう考えても尋常ではない。
もし文香のあれがただの体調不良でなく、極度のストレスを受けたことから来るものなら、その原因を放っておくことは出来なかった。
“オイミャコン村”なんてあだ名からも、親しい友人がおらず、感情をあまり表に出さない性格という自己申告からも、文香の会社での様子は、見なくとも想像はついた。
だから人によっては、そんな彼女に反感を抱く人間もいるだろうことも、安易に推測出来た。
だが本当の彼女は、素直で優しい心根を持った、ごく普通の女の子なのだ。
おそらく実母との確執が、彼女から人懐こい笑みを奪い、他者と一線を引く用心深い性格を生みだした。
ある意味、文香自身が犠牲者だが、社会ではそんな言い訳は認められない。
朱に交わらない白は迫害され、長いものに巻かれない存在は疎んじられる。それが社会の現実だ。
だからと言って、不当な攻撃は容認されるべきではない。
一紫は眠る恋人の額にそっと手を置き、小さく呟いた。
「何があっても、俺は君の味方だから……」
文香はぐっすり眠っていた。
ただ白い月だけが、男の告白を黙って聞いていた。
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