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翌、火曜日。
小原琉璃は、いつもより一本早いバスに乗った。
普段より20分早く会社に到着した彼女は、総務のドアを開けた途端、驚いて固まった。
文香が来ていた。
いや、出社一番乗りはこの上司の常であり、そのこと自体は驚くべきことではない。
しかしさすがに今日は、仕事を休むか、もしくは遅刻してくるかなと、そんなほのかな期待を抱いていた。
それが見事に裏切られ、琉璃は心の中で小さく舌打ちした。
「おはようございまーす」
わざと明るい笑顔で挨拶すると、すでに自分の業務に取りかかっていた文香は、パソコンのモニターから視線を動かさないまま、「おはようございます」と冷めた声で答えた。
これも、彼女の“日常”だった。
二度目の舌打ちをして、琉璃は隣の自席に着くなり、「いつも早いですねー。今日もお弁当を作って来たんですかぁ?」とわざとらしく訊ねた。
文香は無表情のまま、「ええ」と答えた。
しかしそこで、いつもと違う答えが返って来た。
「“彼”にもお弁当を渡しているから、毎日必ず作るのよ」
琉璃はびっくりして、「そうなんですかぁ……」と、思わずテンション低めに呟いた。
「佐野さんて、意外と尽くす系なんですねー」
「私のせいで手を骨折させちゃったんだもの。このくらい当然よ」
まるで昨日のバス車内での会話など、一切覚えていないかのような相手の態度に、琉璃はなぜか焦りを覚えつつ、この違和感ある会話を続けた。
「あー、そう言えば、そんなことを言ってましたねぇ。じゃあひょっとして、彼氏さんが佐野さんと付き合ってるのって、飯炊き女として便利だからなんじゃ、ないですかー?」
かなり嫌味な台詞だったが、文香は表情を変えないまま、「どうかしら」と呟いた。
「だけど昨日は、彼が夕食を作ってくれたの。私が風邪気味だからって、得意の味噌煮込みうどんを作って、おまけにコンビニまで出掛けて、栄養ドリンクとデザートまで買って来てくれたの。そして私が眠るまで、ずっと傍にいてくれたの。……ただの飯炊き女のために、ここまでするかしら」
ピクッと琉璃の唇が震え、彼女は必死に笑顔をキープしたまま、「へぇ~~~……」と感心したような声を上げた。
「随分と、優しい彼なんですねーーー」
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