第七章【夜明け前】

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    1  翌朝、9月29日、木曜日。  文香は激しい頭痛を理由に、会社を休んだ。  原因は一晩中泣いたことにあるが、会社には風邪だと嘘をついた。  生まれて初めてのサボリだったが、そこに罪悪感を覚える余裕もないほど、彼女は憔悴しきっていた。  一体あれから、何時間泣いたのか。  シーツも枕カバーもぐっしょりと濡れて、雨に降られたような状態になっている。 「人間が水で出来ているって、本当なんだ……」  おかしな所に感心しつつ、文香はぼんやりとベッドの上で膝を抱えた。  泣きすぎたせいか、ショックが大き過ぎて、心が麻痺したせいか。  今は何も考えられず、脳も体もまとも動かせる気がしなかった。  そのまま一時間ほどぼんやりした後、彼女は無意識に立ち上がり、濡れたシーツと枕カバーを手に、洗面所に向かった。  それらを乾燥機付き洗濯機に放り込み、スイッチを入れる。  それから風呂の湯を溜め始めた。  湯が溜まるまでの間、キッチンの椅子に腰掛けて、またしばらくぼんやりする。  目の前には、自分のスマホ。  今朝、会社に連絡を入れるために触った時、すでに一紫からメールが5件、着信が3件入っていた。  だが、彼女はその中身を確認していない。  気になってはいたが、見るのが怖かった。  そこに自分宛ての別れの言葉を見つけたら、自分は一生立ち直れない……、そんな予感があった。  湯が溜まったことを知らせるブザーが鳴り、文香はスマホをそこに残したまま、浴室に向かった。  身につけていた下着を捨てるように洗濯籠に放り、掛け湯もそこそこに湯船に浸かる。  何も考えず、ぼんやりとそのまま、30分程風呂に入った。  そこでようやく、眠気を覚えた。  一晩中泣いたせいで、昨日は全く眠れなかった。  このまま湯船の中で寝落ちしそうで、慌てて風呂を出る。  いつものショーツとキャミソールという恰好で、新しいシーツと枕カバーを用意し、寝床を整えた。  準備万端整えて、文香はそのまま、布団に入った。  秋用毛布の心地良い肌触りと、適温に設定された部屋の温もりに、ちょうどウトウトしかけた頃。  いきなりけたたましく、玄関のチャイムが鳴った。
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