第一章【隣は何をする人ぞ】

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    ◇ 「俺の方は、色々君について教えてもらったが、君の方は、俺に聞きたいことはないか?」  突然の男の言葉に、食器をシンクに運ぼうとした文香は、目を見開いて振り向いた。  びっくりした様子の彼女を、和史は真面目な顔つきで見つめた。 「興味がないのなら、いいんだが。俺に遠慮して、敢えて聞かないでいるのなら、その配慮は無用だ。俺に答えられることなら、何でも答えるよ」 「いいんですか?」  皿をシンクに置いて、文香は自分の席に戻った。 「もちろんいいよ」  食後のお茶を啜りながら、和史は表情を和らげた。 「毎日これだけ熱心に世話をしてもらって、素性を明かさずにいるのは、君に対してあまりに不誠実じゃないか?」  文香はためらいがちに、テーブルの上で組んだ自分の両手を見つめた。 「本音を言わせていただくと、すごく、気になっていました。でも、そちらから話していただくまでは、こちらから訊ねるのは失礼だと思って、聞かずにいたんです」 「そう。なら、何でも聞いてくれ」 「え……」  改めて問われ、文香は和史をじっと見つめた。  名前と歳と誕生日はもう、知っている。  だがそれ以外は、目の前の男はあまりに謎だらけだった。 「えと、じゃあ、一番気になっていたこと……」 「うん」 「田中さんて、ハーフですか?」  これまで幾度も聞かれたその質問に、和史は笑いながら答えた。 「さぁ、分からない」 「え……」 「冗談でなく、知らないんだ。俺は私生児だった。母親は間違いなく、日本人だ。だが、父親の名前を知らない。顔も分からない。母親に聞いても、何も教えてくれなかった。何も明かさないまま、母親は死んだ。だから、今も俺は、自分に外国の血が入っているかどうかが、分からない。ただこの色素の薄さからして、父親か祖父母辺りに、白人の血が入っている可能性は、高いと思う」  文香は相手の言葉を真剣な表情で聞き、「お母様は、いつお亡くなりに……」と訊ねた。 「俺が、小学校に上がってすぐ。勤め先の飲み屋で、酔っ払いの喧嘩に巻き込まれて、あっけなく」  これも、幾度も繰り返されたやり取りだった。  和史は淡々と、母親が亡くなった後に施設へ預けられ、高校を出るまでそこで育ったと明かした。
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