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◇
葉子お勧めの割烹料理店は、ホテルの一階に位置し、落ち着いた内装と品の良い接客で、落ち着いて食事出来る良い雰囲気の店だった。
料理も申し分なく、昨日、皆が胸の内をさらけ出して語り合ったことで、三人の間に互いを隔てるものはなく、流れる空気も終始穏やかで明るかった。
食事の最中、葉子は一紫の生い立ちを訊ねた。
相手に乞われるままに、一紫は素直に全てを明かした。
父と母の馴れ初め、別れ、母とはたった7年しか一緒にいられなかったが、今もその愛情は深くこの身に刻まれている、と彼は語った。
紫乃の話を聞いて、葉子はしみじみとした口調で、「素晴らしいお母様だったのね」と呟いた。
「私は、シングルマザーになる覚悟は持てなかった。結局、親に縋り、章生さんの愛情に救われて、どうにか母親になる覚悟を持てた……。だからあの店を大きくすることは、私なりの、迷惑を掛け通しだった両親への、せめてもの罪滅ぼしだったの。夫は常に、私が生き生き働く姿が好きだと言ってくれて、私はそんな夫の優しさに甘えて、好き勝手にやって来た。子供達に寂しい思いをさせている自覚はあったけれど、自分みたいな人間が母親として傍にいるよりも、他の大人に任せる方が、子供達の為になるんじゃないかとも思ってた……」
そこで葉子は無言の文香を見つめ、「ふがいない母親でごめんなさいね」と詫びた。
文香は目を伏せ、「……いえ」と呟いた。
「母親になる自信がないのは、私も同じだから……。仕事が好きなのもお母さんと一緒だし、一紫さんの愛情に胡坐を掻いて、自分勝手なことばかりやっているのも、同じなの。私には、お母さんを責める資格はないよ……」
「文香……、あなたは私とは違うわ」
穏やかな母親の表情になって、葉子は言った。
「たった一人ででも自分を律して生きて来たし、瓜生さんという素晴らしい人生のパートナーを見つけた。確かにあなたは私に一番良く似ているけれど、あなたの方がずっと大人だし、優しい子だわ。駄目な母親だった私を許してくれたんだもの。きっと自分の子供が出来ても、心から慈しんで育てることが出来ると思う」
「お母さん……ありがとう」
一番言って欲しかったことを、一番言って欲しかった相手から受け取り、文香は心底嬉しそうな顔になった。
その笑顔を見て、一紫も自然と笑顔になった。
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