第一章【隣は何をする人ぞ】

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「ああ、溝口(みぞぐち)さんのこと? うん。彼は、俺が契約している出版社の、担当者だよ。普段はメールか電話でやり取りしているけど、たまにこっちに用があると、寄ってくれる。その時に、次に出す本の打ち合わせをやってるんだ」  また「なるほど」と、文香は呟いた。 「それで、全て合点が行きました。自分が想像していたより、ずっと平凡な真相でしたけど」 「平凡?」 「ええ。私はその溝口さんと田中さんが、いわゆる禁断の恋の関係かと思ってたので」 「なっ……」  再び想像を越える発言をされて、和史は驚きの余り呆気に取られた顔をした。 「まあ、現実はそんなものですね」  したり顔で頷く文香を、和史はしばらく呆然の態で見つめていたが、そこでクスクス笑い始めた。 「……全く。やっぱり、君は変わっている」 「最初にそう申し上げましたけど」 「うん。だけど、改めて実感したよ。俺の職業を聞いて微塵も表情を変えなかった相手は、君が初めてだ」 「そうですか? ……へぇ」  文香は意外そうに呟いた。  そんな彼女を見て、和史は自分の左手が無意識に上がったことに気付き、慌ててその手を下ろした。  咄嗟に、相手の頭を撫でたい衝動にかられた自分に気付いて、彼は自分自身に愕然とした。  ―― 一体……。俺は今、何をしようとしたんだ……。  だが、素直に嬉しかった。  官能小説家と聞いても、文香の態度が全く変わらなかったことに。彼女の中に、自分の職への偏見がなかったことに。  その事実が、ただひたすらに、嬉しかった。
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