第一章【隣は何をする人ぞ】

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 左手で額を押さえ、和史はしばらく黙り込んだ。  文香はそんな男を真顔で見つめた。 「あの……何か」 「……いや。ちょっと、若い世代との価値観の違いに、戸惑いを隠せなくて……」 「それはどうでしょう?」  相手の落ち込みには気付かずに、文香は言った。 「たまたま、私と彼の価値観が一致しただけで、やっぱり世間から見れば、常識から外れた関係だと思います。だから会社では、絶対にこんな話はしません」 「ならなぜ、俺にはしたんだ」 「それは……」  相手に問われ、文香は首を傾げた。 「……なぜでしょう? 何となく、田中さんには話せたんです」 「俺が官能作家だから?」 「いえ、違うと思います。……多分」  そこで文香は、いつもの癖で視線を下に向けた。  彼女自身、他人にここまであけすけに自分を晒したことは、いまだかつて無かった。  恋人の海斗にさえ、言えない本音は沢山ある。  けれど和史に対しては、何でも打ち明けてしまいたくなるのだ。  そこに自分を駆り立てるものが何なのか分からないまま、文香は顔を上げて、目の前の一回り年上の男を見た。 「……私、田中さん相手だと、何でも話せるんです」 「え……」 「多分それは、田中さんが、すごく話しやすい雰囲気を持ってるからだと思います。こんなに話しやすい人に会ったのは、生まれて初めてです」 「そ、……そうか」  顔が赤くなりそうな気配を感じ、和史は懸命に胸の動悸を押さえた。 「それは……何よりだ」 「はい。だから、助けていただいた相手が田中さんで、本当に良かったです。こう見えて、かなり人見知りな性格なので。合わない人だったら、仕方ないことだと言え、すごくストレスを感じていたと思います」 「俺の世話を焼くのは、ストレスじゃない?」 「はい。全然」  そう言って、文香はまたニッコリ笑った。 「…………」  もう何も言えなくなって、和史は片手で顔を覆った。
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