20人が本棚に入れています
本棚に追加
*
拓人が自宅マンションに帰ると、なんだか、すごいことになっていた。
「ほら、いくちゃん。笑ってぇ。こっち向いて? 写真とろ?」
「…………」
「ねぇ、また299のお洋服、買ってあげるから! お母さんね。いくちゃんなら、アイドルになれると思うんだ。
でもね。でもね。そのためには、もうちょっと笑えるようになれないとダメだと思うのね。だからね。ちょっとだけ、笑う練習してみよ?」
無表情で、かたまっている郁のまわりを、スマホ片手に古都子がウロウロしている。
シャッター音が連続で、なり続けている。
そういえば、郁が二、三さいのころに、古都子が言っていた。
「ねえ、拓人さん。いくちゃんって、カワイイよね。将来、アイドルになれるよね」ーーと。
いや、その前、まだ妊娠中に、こんなことを言ってたような気もする。
「わたしね。拓人さん。男の子がほしいなぁ。息子をアイドルにするのが夢なのよねぇ」ーーと……。
古都子のあれは、冗談ではなかったのだ。
今になって、それらが、すべて本気で発言されていたのだと、拓人は理解した。
これは、マズイ。そんな気がする。
「ことさん。そんなのは、まださきのことだよ」
「さきじゃない。ジュニアの子なんて、みんな、十二、三さいまでには事務所と契約してるんだから。いくちゃんも急がさないと」
「それにしたって、郁の将来は、郁が決めることだ。親が口出しするのは、子どもが悪いことをしようとしてるときだけでいい」
古都子は、だまった。
たぶん、「いいもん。勝手に履歴書送っちゃうもん」とかなんとか、考えてるに違いない。
こまった人だ。でも、そこがカワイイのだが。
自分に素直で、むじゃきで、明るい。
わが家の太陽だ。
「あんまり、郁をこまらせないようにね」
「わかった。でも、SNSはいいよね?」
「郁がイヤでなければね」
「いいよね? いくちゃん」
「…………」
長い間がある。
拓人は緊張して、郁を見つめた。
「……ちょっとなら」
ほっとした。
息子が許容しているなら、まあいいだろう。
「ことさん。だからって、写真は撮りすぎないようにね」
「はーい。わかった」
ほんとに、わかってるのかどうか。
不安だ。
最初のコメントを投稿しよう!