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ついさっきまで分からなかった、凪沙の顔が
今はハッキリと思い浮かぶ。
ずっと思い出せなかったはずなのに、少しも色褪せないで残っている、僕の中の彼女の笑顔。
最後のチャンスと思って来たけど、まさか本当に記憶が戻るとは。
きっと彼女はさんざん泣いたに違いない。
訳も分からないまま、会社の人間に別れろと迫られ、お腹の子をどうするか悩みに悩んだだろう。
どれだけ苦しめただろう。傷つけただろう。
それを思っただけで、胸が抉られるような痛みを感じた。
僕はとんだ嘘つきヤローだ。
プロポーズをするだけしといて、全てを彼女に委ねることになってしまった。
僕の立場などは一切話したことがなかったから、さぞ驚いたろうに。
俯いたまま、はぁ、と溜め込んだ熱い息を吐く。
堪えていた熱いものが、すぅっと頬を伝っていく。
ーーーー涙なんて、いつ以来だろう。
あぁ、事故後訪れたあの別荘の時以来かもしれない。
そこまで心動かされることなんて、ずっとなかった。
不甲斐ない自分に改めて腹が立った。
隣で彼女を支えてやれなかった自分を殴り飛ばしたい。
悔し紛れに足元の砂を思いっきり蹴って、乾いた砂粒が舞い上がると、自分にも少しそれが降りかかる。
ペッ、と口に入った砂を出しながら
僕はしばらくその場から動けずに、ひたすら海を眺めていた。
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