第1章

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   便利屋AIAIの事件簿③~犬はどこだ~(前編)  札所(ふだしょ)巡(めぐる)の視線の先には、一軒の小屋があった。フェンスに囲まれ、出入り口は一か所。辺りには雪が一面に二十センチほど降り積もっており、小屋へと向かって二筋、足跡が続いている。行きと帰りの足跡だ。行きの足跡は一定の距離で点々と続き、持ち主が落ち着いていたのが分かる。しかし、帰りの足跡は乱れて、動転している様子が見て取れた。まるで小屋の中にいると思っていたものが、見当たらなかったみたいに。 「とうとう密室消失事件の依頼があった。これぞ名探偵にふさわしい」  隣で腕を組んで不敵に笑う草鞋(わらじ)勝也(かつや)に、巡は冷えた声で応じた。 「所長。僕の目には犬が逃げた後の空っぽの犬小屋しか見えません」 「何を言う、札所くん。あれはどう見ても雪上の密室だ。足跡は発見者の行きと帰りのものだけ、しかし、雪の夜、小屋の中で寝ていた筈の犬はどこにもいない。これぞ謎の消失事件!」 「言っててむなしくないですか?」 「……少し」   草鞋は正直に言うと、着ぶくれたコートの中で窮屈そうに肩の位置を直した。古着屋で購入した見るからに重いモッズコートだが、背の高さに合わせて買ったら肩幅が合わない。身長のわりに痩せているのである。  対照的に小柄で小太りなのが巡だ。今日は赤レンガ色のニット帽にベージュのダウンジャケット、ジーンズにスノーブーツという完全防寒のいでたち。手編みのピンクのマフラーが完全に浮いている。草鞋が所長、巡がアルバイトをしている『便利屋AIAI』の事務員、釈(しゃく)氏(し)奈津子(なつこ)が編んだものだ。巡だけでなく、草鞋も黒のマフラーを押し付けられて身につけている。見た目は良くないが、暖かい。 「僕たちが頼まれたのはいなくなった犬を探すことで、密室とやらの謎を解くためじゃないですよ。わかってますか、所長」 「わかっている。犬は雪が降りだす前に逃げたのだろう。そうそう密室なんてお目にかかれないさ」  言い訳しながら、草鞋は名残惜しそうに犬小屋を眺めている。  ほんとうは、密室であってほしいんだな。巡は呆れた。まったく、所長の探偵趣味にも困ったもんだ。 「便利屋さん、お待たせしました。どうぞ中にお入りください」  背後から女性の声がして、二人は振り向いた。
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