瞳スイマー

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 藍をアサガオに染め抜いた古風な浴衣。いまどきの派手さがないため、若い女性がそでを通せば逆に目を引くもの。実際、すれ違う幾人もの男性が彼女へと振り返る。 「お、おう……」 「なに絶句してんのよ。むかしからわたしの浴衣姿なんかいくらでも見てんでしょうが」  腰に手を当ていぶかる彼女。キリリとした眉根がかすかに寄った。 「あ。でも、今年は七夕も一緒じゃなかったしレアっちゃレアか?」  などと。  巾着ふりまわし、あははと笑った。健康的な白い歯がならぶ。 「それって……むかしおばさんが着てたヤツ?」  彼がそういうとお日様のような笑顔に拍車がかかった。 「そ。ひいおばあちゃまから続く我が家伝来の品よ。よく覚えてたね?」 「おまえがいってたんじゃないか。いつか自分も着たいって。でもなんでまた急にそんな大事なモンを……って違ぇよ。なんでおまえバス乗ってねんだよ。どうやって来た? あと純粋に遅ぇ」 「あー、ごめんごめん」  さして悪びれた風でもなく合わされた眼前の手のひらに、やるかたない彼の気持ちなど受け流されていった。過去何千回と繰り返されてきたやりとりを思い出し、自然と表情も緩んだ。その横顔にはまだ赤々と頬杖の跡が残っている。  とりあえず歩くか――どちらからともなく駅を離れた。スローペースに沈む夕日を追いかけてのぼる坂道に、また一組のカップルが生まれる。  沿道を埋め尽くした縁日の屋台からは、いい匂いが漂ってくる。町中に掲げられた提灯越しには古めかしいやぐらがのぞく。祭囃子がよりいっそう賑やかさを増している。 「せっかくの浴衣でしょ? バスで揉みくちゃもイヤだわって話してたら、お母さんが車で送ってくれるってなって」 「ああ……」 「それで仕度が遅れるわ、道も混んでるわ、お母さん運転下手だわで」 「最後のはいらん」 「というわけなのよ」  語尾を強調して力説する彼女をまっすぐ見ると、おもむろに彼が口を開いた。 「要約すると休みボケでギリギリまで寝てたと」  アップされた黒髪の襟足部分を指差して彼が毒づいた。飛び跳ねた後れ毛を両手で押さえて彼女が「あぅ」と小さくうめく。 「こ、細かいことはどうでもいいのよっ」 「細かくねぇし、いつものことだし、ひとのせいにすんなし」 「やだもう、そんなことより前髪とか大丈夫? 変じゃない?」
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