0人が本棚に入れています
本棚に追加
彼女に歩幅を合わせながらゆっくりと歩く。ひと気も多くなり、すれ違うたび誰かと肩がぶつかる回数も増えてきた。そんなとき、ひとの切れ間に泣いている子供が見えた。風船を手にしゃがみこんだ婦人警官がなにやら話しかけている。
「やっぱ違う高校に進むと、お互い知らないことって増えるよね」
「お互い?」
気になる一言に視線を戻した。チョコバナナはまだ半分残っている。
「またすこし背が伸びたんだね。すぐ分かったよ」
彼女はちょっと背伸びをして、空いてるほうの手で彼の頭に触れた。ところどころ色の抜けたマダラの茶髪がぐしゃぐしゃにされる。しかしそれを嫌がるでもなく、されるがままに彼女の顔をじっと見た。
彼女もまた彼のことをじっと見上げている。そして、
「もしかして妬いてるの?」
見慣れた表情でいたずらっぽく笑う。
「ばっか。やいてねーし、ふざけんなし、調子のんなし」
ぐしゃぐしゃにされた茶髪を手ぐしで梳いて、すこし歩調を速めた。ふたりの間に若干の距離が生まれる。すると彼女も負けじと追いすがった。浴衣のすそに動きを制限されながらもカラコロと下駄を鳴らす。
いつしか彼女が前に出て、彼のほうへ振り返ろうと後向きに歩きだしたときだった。
雑踏という名の壁にぶつかり、ペタンとその場に尻餅をつく。まるで糸の切れた人形のように。
「……すみません」
すぐさま駆け寄った彼がぶつかった相手に頭をさげる。しゃがみ込んだままの彼女の肩に手を掛けて「大丈夫か?」とささやいた。
「ダメ……」
「あん?」
不機嫌そうな彼女の声に眉根を寄せる。
「浴衣。汚しちゃった……」
宵のはじまり。暗くなったばかりの町が提灯の迎え火に浮かんでいる。行き交う人の波がふたりを包んでいく。人垣からかすかにもれる電飾の明かりに照らされて彼女の目元がうっすらと光る。
「大事な日だから……この浴衣……」
喧騒のなかでも聞き分けることができた。すすり泣くちいさな声と鼻のなる音。
「立てるか?」
そういって彼は先に立ち上がる。雑踏から頭ひとつ抜きんでた彼の目に、とある家族の様子が飛び込んできた。自慢げに風船を握り締めた子供が、両親に手を引かれてとても幸せそうに。涙の跡などすっかり消えていた。
はたして転んでも大事なものは離さない、なんて言葉はあったかと。
悩むだけ無駄だと彼は思う。
最初のコメントを投稿しよう!