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「……あんた、何やってんの」
崩れ落ちる先輩を見下ろした皐月の腕が胸倉へと伸びる。
「やめてっ」
すぐに聞こえた自分じゃない彼女の可愛らしい声に、いちかの身体はピタッと動きを止めた。
皐月の威圧感は身が竦むほどで。そうでなくてもこんな場面。女の子だったら怖くて動けなくなってしまうはずだ。
それなのに彼女は震える手で皐月の腕を掴んだ。その事実がいちかの胸を締め付ける。
(そっか……)
彼女もまた『決めた』のだとわかった。
「……どいてろ」
「でもっ」
杉先輩は彼女の肩を押し、皐月と距離をとらせた。
それを見た皐月は奥歯を噛みしめる。
「順番が違うだろ」
「…………」
「わかってんの」
皐月のわずかに震えた語尾に、いちかの胸はいっぱいになる。
「いちかの気持ち、わかってやってんのかよっ!」
叫んだ皐月の握りしめた拳にいちかはそっと触れた。
「いちか……」
――なんで皐月が泣きそうなのよ。
「手。痛くなっちゃうよ」
微笑んでみせたいちかに、皐月は一度更に拳を強く握りしめると、ふっと力を抜き、一歩後ろへ下がった。
「花咲……」
「先輩」
顔を見たら、やっぱり揺らいでしまう。
泣いて縋りついてみようか。好きだって。考え直してって。
彼女より、私の方が何倍も好きだからって。
気を抜けば飛び出してしまいそうな言葉たちを必死に呑み込む。
(でもそれじゃ、駄目なんだよ)
涙を見られたくなくて、いちかは顔を伏せた。
「私、お弁当……、作りません」
「……うん」
「日曜日。試合、観に行きません」
「…………」
「……先輩っ」
――言わなきゃ。「別れて下さい」って。笑って。言うって。
付き合うときに決めた。
もし先輩があの人を選んだそのときは笑って別れを切り出すって。
それなのに、喉に張り付いた言葉は何度口を開いても出てはくれない。
「……花咲」
落ちてきた優しい声に、言わせてしまう。
決めたのに。付き合うときに決めたのに。
「別れて欲しい」
杉先輩の真っ直ぐな言葉と共に堪えきれなかったいちかの涙がぽたり、地面に模様を作った。
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