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いちかはベンチに腰掛け、再び皐月の右手にペットボトルを当てた。
「何となく安心するために『彼氏いる』って釘さしてみたり。今日、皐月から一緒に帰ってもいい? って聞かれたときも。一瞬でもそう思った皐月を私、先輩の気を引く材料にしようとしたの」
うん、と返事をしたのは先輩がやきもち妬いてくれるかもしれないと頭を掠めたから。
結果。意味のなかったことで。言わなければわからなかったことだったけれど、そう思ったのも考えたのも本当だから謝っておきたかった。
「ごめんなさい」
頭を下げたいちかのストレートの髪がサラリ、肩を滑り落ちる。
皐月はそんないちかを見つめ、やがて口を開いた。
「別にいいよ」
あまりにもあっさりとした返答にいちかは思わず顔を上げる。
「別にって。怒っていいんだよ?」
「怒ってないし」
「でも……」
言いかけたいちかを止めるように皐月は少し乱暴に彼女の頭を撫でた。
「いちかはいろいろ考えすぎ。みんなそんなもんだよ」
俺なんかもっと……。呟いた言葉はあまりに小さく、ひっそりと地面に吸い込まれていく。
ふっと皐月は自嘲的な笑みを浮かべると再びいちかの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「ちょ、皐月っ」
「別に間違ってないからいいんだよ」
「え?」
皐月は言って立ち上がる。
首を傾げたいちかの疑問には答えず、皐月はそっと手を差し出した。
「帰ろう。いちか」
皐月が日本に帰ってきてから約一ヶ月。
四月が終わり、五月の風が吹き始める。
そんな、夜。
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