画面の向こう

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 はきふるしたスキニーパンツを海底からなんとかすくい上げ、アパートの鍵だけ持って、悲哀の海に流されるように外に出る。  見上げると、穏やかな雲が少しばかりと、あとはすっきりした晴天が広がっていた。遠くから犬の吠える音がするけれど、ここにわたしをいじめるものは何もない。こんなきれいな世の中に出てきてはだめだよと、玄関のドアに鍵をかける。悲しみは、ここでお留守番しててね。  突然右のおしりが振動して、わたしはからだをびくつかせた。途切れたメッセージのやりとりが頭をよぎり、反射的に手を伸ばす。しかしそこには小さな鍵と、触り慣れたテロテロの生地の感触しかない。  ああそうだ。持ってこなかったんだ。思い出すのと同時に、こらえていた心がずるずると地に落ちていくのを感じた。置いてきたはずの悲しみが、空の尻ポケットから這い出てくる。目に焼き付いたSNSの一場面が、脳をぐちゃぐちゃにかき回す。わたしはぎゅっと目をつむった。だって、仕方ないでしょう。  久しぶりに会うはずだったあの日、あの突然のメッセージがすべて悪いのだ。  急用ができた。そっか、じゃあまた今度ね。何でもなさそうに了解するわたしの、心の中はさびしく震え熱をもっていた。そんなに大事な用事なのか。どうしてもその日でなくてはだめなのか。  しかしわたしは余裕のあるふりをしなくてはいけない。いつだって彼は趣味や仕事に忙しくて、いつだってわたしは彼を待っている。でも男は追いかけたい生き物だから、女は追いかけられなくてはだめだから、なんともない顔をしなくては。わたしはメッセージを閉じた。既読はついていなかった。  突然空いてしまった一日をもてあまし尽くしたころ、再び彼とのやりとりを見返すと、ちょうど既読がついたところだった。渇いた心がぴょこんと跳ねるような気持ちで画面を見つめて、しかし、それっきり返事はなかった。  窓の外が暗くなって、ようやく、わたしは貴重な一日を無駄にしたのだと気づいた。追い討ちをかけるようなタイミングで、SNSが彼の返事を伝えてくれた。さびしい思いさせてごめんね。  ずるい、と思った。怒る前に謝られたら、許すしかないじゃないか。わたしはあなたに心配させたくなくて気負わせたくなくて好かれたくて、こんなに我慢をしているのに。  怒りを抑えられなくなって、感情に任せてひどい言葉を送った。完全に八つ当たりだ。もちろん返事はなく、深夜に送った謝罪の言葉には、今も既読だけが転がっているだろう。
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