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家に帰ると、親父の車が車庫に入っていた。
ようやく涙が止まっただけに、それがとても憂鬱に感じた。
リビングに行くと案の定親父が帰っていた。
ソファーの上に座りながら新聞を読む彼の表情は相変わらず硬く、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「……なんでこんな時間に家にいるんだよ」
突っかかるような口調で親父に訊くが、親父はこちらを見向きもしなかった。
「そんなことを訊く前に言うことがあるだろ」
低いトーンでぴしゃりという親父に、俺は渋々「……ただいま」と返す。
だが、親父は俺の質問に答える素振りはなく、黙々と新聞を読んでいた。
「午後からだけど、お父さんようやく代休取れたのよ。人様の命がかかっている分、お医者さんって大変よね」
俺の問いかけには代わりに母さんが答えてくれた。
台所で夕食の下拵えをしていた母さんは俺に聞こえるようにはっきりとした口調で言ってくれた。
その気遣いが逆に苦しくなる。
試しにそっと左耳に触れてみたが、どんなに耳を澄ましてももう音を拾えなくなっていた。
わかってはいたけれども、やはり少しへこむ。
でも、こんな顔を親父には見せたくなくて、俺は見向きもせずに自室に向かった。
部屋に戻ると一気に疲れが出て、倒れるようにベッドに横たわった。
ふと横を見ると、目に入ったのは本棚に並んだ医学部のある大学の赤本と、隣に並んだ表彰メダルだった。
その手前にはわざと伏せた写真立てが置かれている。
中に入っている写真はもう何度も見てきた。
北海道大会で優勝した時の部活の写真だ。
多分、あの写真の頃が人生のピークだった。
強豪校を破り、ようやく手にした全国大会。
うちの高校のバレーボール部が北海道代表になったのは今回が初めてだったから、みんな俺たちのことを称えた。
しかも俺は1年なのにレギュラーに入っていたから、特に注目されていたのだ。
そんな栄光も東京に来てからはなんの意味もない。
親父の転勤は、俺にとっても好機であった。
これから出会う人たちは俺がバレーボールをやっていたということも、俺の左耳のこともみんな知らない。
だからこそ、ゼロから全部作り上げようと思っていた。
バレーボールだけじゃない。俺にしかできないことで名を轟かせてやろうと思っていた……はずなのに。
一人になって、静かな部屋で目を閉じると、あの日のことが鮮明に甦ってくるのだ。
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