好きな人

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 どうしよう困った。こんな状況に慣れていない俺には切り抜け方も分からない。ただひたすら祈っていた。さっさと離れてくれますように。  だが神サマは俺をガン無視しやがった。良くない事は次々に重なる。間が悪くもそんな時、コツっと響く靴音を聞いた。 「ぁ……」  顔を上げ、階段のある方に自然と目が行く。そこで勝手に漏れ出ていた声。  俺の声はほとんど音になっていなかった。廊下のちょうど、階段を上りきった場所。パチリと視線が絡んだ相手は、仕事帰りの瀬名さんだった。  距離はあるけど視線は交わった。瀬名さんも足を止めかけたように思えた。だが結局は止まることなく、こっちに向かって歩いてくる。同時にフッと、目も逸らされた。 「…………」  ミキちゃんは人が来たってお構いなしだ。自信満々にこんな事をできる女は恋愛ドラマの主人公くらいだ。  瀬名さんはこっちを見ようともしない。反対に俺は瀬名さんの顔から一ミリも目が離せなかった。女の子に抱きつかれたまま瀬名さんがこっちに来るのを見ている。しかしこの人は顔色も変えず、自分の部屋へと入っていった。  パタンと閉められた玄関のドア。それからミキちゃんもようやく離れた。行き場がなかった俺の腕は、脱力したように体の両脇でだらんと無様に垂れている。  まだ動けなかった。原因はこの子じゃない。この子の行動なんてどうでもいい。  こんな現場を目にした瀬名さんが他人行儀に去っていった。目を逸らされた。なんの興味も無いような顔をして。静かに部屋へと入っていった。 「ごめんね」 「……うん」  相変わらず安っぽいごめんねだ。そんなものを聞かされても適当な返事しかできない。  頭にあるのは瀬名さんの顔。冷たいくらいに落ち着いた表情が、ずしりと俺の中に残された。
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