好きな人

12/27
前へ
/1395ページ
次へ
 これで諦めると言っていた通り、ミキちゃんはすぐに帰って行った。何か言いたげな顔をしていたのには気づいていた。多少なりとも期待はされていただろう。  優しい言葉をほんの少々かけるくらい。慰めるための言動くらい、それくらいはしてやっても良かったのかもしれない。男として。  でも無理だ。そんな事に気を回してはいられなかった。あの子に構っていられるほどのゆとりが心の中のどこにもない。  部屋に入ってもなお頭の中を占めるのは瀬名さんのあの態度だけ。あんな状況を見ても表情を変えなかった。たった一言でさえ声をかけてくることもなかった。瀬名さんはあの瞬間に何を思って、俺から目を逸らしたのか。  部屋の中で立ち尽くし、ベッドの上にいるクマを眺めた。まん丸い目が見返してくる。それでようやく、重い足を動かした。  向かったのはお隣。瀬名さんの部屋だ。インターフォンを押してから待つと少ししてドアが開いた。 「どうも……」 「ああ」  内側から見下ろされる。気まずさに負けて今度は俺が目を逸らした。瀬名さんはいつもと変わらないけどそれでもさっきの今だから、緊張感で自分の手をぎゅっと握りしめている。 「いいのか。放っといて」  先に喋ったのは瀬名さん。聞かれてふっと顔を上げた。 「……え?」 「客。来てるんじゃねえのか」 「…………」  客だなんて。そんな。わざとらしい、言い方。 「……帰りました」 「そうか」
/1395ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6494人が本棚に入れています
本棚に追加