好きな人

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***  ほとんど強引に連れ込んだようなものだった。俺があそこで食い下がらなければ瀬名さんはウチに来なかっただろう。帰って来てからせっせと作った夕食も無駄になる所だった。  じっくり煮込んだ甲斐あって、バターと牛乳がしっかり馴染んだとろとろのシチューはいい出来だった。瀬名さんだってそう言った。美味いって、この人が。  一昨日の夜に瀬名さんの部屋でグラタンをオーブンに入れたのは、そういうリクエストを受けたから。オムライスだとかグラタンだとか、瀬名さんは時々かわい子ぶってくる。  それでグラタンを作っている最中に、クリームシチューも好きだなんて。またもやかわい子ぶった夕食のリクエストを受けてしまったから、今夜は早くもそれに応えた。  瀬名さんのためだった。瀬名さんが好きだ言ったからじっくり白いシチューを煮込んだ。そうしていつも通りに夕食に招くはずだったのに、想定外の事態が起きた。  一人暮らしの男の部屋に女の子を招き入れるか、瀬名さんが帰ってくる前に玄関の前で話を終えるか。それはもはや賭けだった。その賭けに俺は負けた。廊下でのあの出来事は、結局何も聞かれなかった。  またもや見なかった事にされている。瀬名さんは俺の作ったシチューを残さずに食ってくれた。でもそのあとはいつもより、あっけないほど短かった。寝室のローテーブルの前で早々に腰を上げたこの人。 「じゃあな」 「……はい」  怒っているのかと聞くのも変だし、聞かれてもいない事に言い訳なんてできないし。昨日までとなんら変わりないように見せかけて、瀬名さんがどことなくよそよそしい態度だったことには気づいた。  いつものように玄関先で見送ったのは瀬名さんの後ろ姿。モヤモヤしたものはどうしても消えない。これを消せるのはあの人だけだ。
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