好きな人

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 大学の課題を黙々とこなして、汚れている訳でもないキッチンのシンクをゴシゴシ磨いて、どうにか時間をやり過ごしてから風呂に入ってゆっくり出てきた。それでも心の奥はサッパリせずに、残ったわだかまりを抱え込みながら答えの出ない中をさ迷っている。  ベッドに腰掛け、斜め後ろを振り返った。目に入ったのはファンシーなクマ。そいつの頭をポンポンと撫でた。  他に置く場所がないから仕方なく。あの人には以前にそう言った。だけど俺にはこのクマを、他の場所に移す事ができない。  寝起きするたびに可愛いクマと目が合う。目が合った後はなんとなく頭を撫でる。ほとんど習慣みたいなものだ。習慣を覆すのは難しい。  一緒に晩メシを食って、どうでもいいような話をする。そんなあの人との習慣を、今さら手放すことだってできない。  水面下の気まずい状況が今後も続くのは嫌だった。すでに日付を跨いでいる。いるかどうかも分からないベランダに出て、手摺に近づいたところでふわりと感じたのは煙草のにおい。  いた。そう思って、間仕切りを見る。その向こうには瀬名さんがいる。俺がここに出てきた事にはこの人も気付いたようだ。けむたい白煙はすでに空気から消えていた。 「眠れないのか」  声をかけてもらえた。そんな些細なことにホッとしている。  隣を見ても瀬名さんの姿は見えない。こんな仕切りがあるせいだ。こんな物があるせいで、瀬名さんと隔たりができている。 「……眠れません」 「それならヒツジでも数えてみろ」 「ずいぶん古典的ですね」 「俺はあれで眠れたためしがない」  それを人に勧めてくんなよ。そう言いたいけど言い返せなかった。  普段の瀬名さんだったら多分、それなら俺が添い寝でもしてやるって。そんなふざけた冗談を意気揚々と投げつけてきただろう。
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