腑に落ちないキス

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***  遅番バイトから帰った頃にはまあまあいい時間だった。三階に上がって自宅までは行かず、俺が現在向き合っているのは隣の部屋の玄関だ。インターフォンを鳴らせば瀬名さんはすぐに出てきた。 「よう。お帰り」 「どうも」  瀬名さんはまだスーツのまま。でもジャケットは脱いでいる。ネクタイも締めてはいない。 「晩メシ食いましたか」 「いや、まだだ。もらった弁当なら昼に食った」  待っててくれと言い置いて一度部屋に引っ込むと、瀬名さんはその手に弁当箱を持って戻ってきた。毎回マメにきちっと洗って返されるこれ。弁当箱の上には当たり前のようにお菓子の小箱が乗っていた。  まとめて受け取り、両手で抱え、そこでほんの少し迷う。けれど結局吹っ切れて、誘うために口を開いた。 「……食事に行きませんか」 「あ?」 「どっか、外に」  一日中このことばっかり考えていた。どうやって誘おうかって。なんて言うのがいいだろうかと。 「気が向いたんです。今からメシ用意すんのも面倒だし。折角なので、一緒に」  スマートな言い訳なんて最後まで考えつかなかった。尻すぼみな誘い方をした俺を瀬名さんは見下ろしている。  そしてまたもや待っていろと言って部屋の中に引っ込んだこの人。戻ってきたその手から覗くのは、黒くて小さなキーケース。 「何が食いたい?」  秒で成功した夕食のお誘い。朝から晩まで俺がうんうん悩み続けていた意味とは。
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