腑に落ちないキス

8/8
前へ
/1399ページ
次へ
「それじゃあ、どうも。今日はごちそうさまでした」 「いや。俺もようやく念願が果たせた。ファミレスだったが」 「ファミレスだって馬鹿にはできませんよ」  玄関の内側でそんな言葉を交わす今はすでにまあまあいい時間だ。靴を履いた瀬名さんは俺の方に振り返った。 「次はもっと時間のある時に」 「気が向けば」 「お前の好みの物を」 「気が向けば」  可愛げも何もない答えなのは百も承知。けれど瀬名さんはここでもまた笑う。嫌味にではなく優しげに。ゆっくり腕を伸ばして言った。 「向かせろ。次も」 「…………」  頭を撫でられ、そのまま目が合う。されると分かっていながら逃げない。  いつもと同じ。頬に一回。ごくごく軽くかすめる程度。微かな音の一つも立てずにささやかなキスをして、瀬名さんはすぐに離れていった。 「おやすみ」 「おやすみなさい……」  いい年した大人の男が毎晩毎晩ほっぺたにキス。これでトータル何度目だったか。瀬名さんの後ろ姿が消えていくのをじっと見つめた。  やっぱりこうなる。予想はついていた。口実なんて作ったところで意味はないしなんにもならない。  見返りを求めないのが瀬名さんに定着しているスタンス。俺は今夜ただあの人に、メシを食わせてもらっただけだ。
/1399ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6496人が本棚に入れています
本棚に追加