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「…………」
唇はすぐに離れたもののやはり言葉は出てこない。顔の距離は近いままだ。
この人とするはじめての一回が、事故みたいに奪われた。
「…………聞こえてたんじゃないですか」
半ば放心した状態でなんとかそれだけ言う事ができた。まともにその目は見られない。満足そうなのだけは分かる。
「もう一度聞きたい」
「…………」
「だめか?」
この人は本当、いつもこうやって。それで俺は。結局。どうせ。
「…………好きです」
こんなのに惚れた俺が悪い。俺の負けだ。完敗だ。
顔を上げるに上げられずにいたら、瀬名さんの手が頬に触れた。
「瀬名さ…」
そっと触れられ、それでまた黙った。二回目のキスは少し長い。時間をかけてゆっくりと離れ、それがもう一度重なっている。繰り返される小さな接触に感覚はむしろ鋭くなった。
気付くと呼吸を止めていた。吸い込んだ空気をどうやって吐き出せばいいのかが分からない。今にも呼吸困難に陥りそうになっている中、唇が触れるか触れないかの位置で瀬名さんの静かな声を聞いた。
「いつから」
何を聞かれたのか瞬時には理解できない。しかし遅れて意味が分かった。
駄目だ。その質問だけは駄目だ。その質問は絶対だめだし、それに顔の位置も近い。はっきりとした触れ方でなくても、この人が喋るとお互いの唇の表面が微かに擦れる。そんな距離でこの人は言う。
「いつ」
くすぐったい。恥ずかしい。耐え切れず、身を引いた。
「……分かりません」
「分からねえって事はねえだろ」
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