デート

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***  日帰りデートを満喫してから約一週間。金曜が来るのはとても早い。  明日も瀬名さんは仕事だろうか。あの人は今週もずっと毎日忙しそうにしていた。  今日は俺も遅番で、バイトからの帰り道、人気がなく明かりも少ない細い通りをテクテクと歩いた。  夜道では変質者に気を付けろ。瀬名さんはそんな事を言ってくる。俺は女の子じゃないんだから痴漢にも強姦魔にもそうそう遭わない。  通り魔とひったくりにだけ注意しながら歩き慣れた道を行く。三つ目の角を曲がったところで、前方を歩く人影が見えた。 「瀬名さーん」  ちょっとだけ声を張った。振り返ったのは前にいるその人。  後ろ姿を見れば分かる。あんなスラッとした長身で姿勢のいいサラリーマンはなかなか身近に転がっていない。一直線に駆け寄る俺を瀬名さんも足を止めて待っていた。 「よう。今帰りか」 「はい」 「お疲れ」 「瀬名さんも」  二人で並んで歩いていると白い明かりが見えてくる。どこででも見かけるその外観。  バイトで食いつなぐ学生にとっても働くお母さん方にとってもスーパーに行く時間がないときの強い味方。コンビニだ。  ちょっとそこ寄ってもいいですか。そう言って一緒に店に入った。この時間でもまだチラホラと明るい店内には客がいる。  紙パックが並んでいる棚の前で牛乳を手に取った。買いたかったのはこれだけなのだが、コンビニに来るとつい欲しくなるのがヘルシーではなさそうなお菓子。たかが数百円が浪費の元でも時々くらいは許されたい。  店の主力なのが一発で分かるスイーツコーナーに足を向けた。綺麗でかわいいのが色々並んでいる。どうせならこの中からまだ食った事のない物を選びたい。問題なのは食った事のない商品が一個や二個ではないことだ。  どれにしよう。じっと無言で迷っていたら持っていた牛乳を取り上げられた。隣に目を向ければそこには瀬名さん。いらないのにカゴまで持ち出して来たようで、そっと牛乳を中に入れた。  カゴの中身は牛乳パックのみ。俺の買い物に付き合っているだけの瀬名さんは自ら財布になろうとしている。 「あとは何が欲しいんだ」 「これくらい自分で買えますよ」  カゴから牛乳を取ろうとすると瀬名さんの手がそれを止めた。物色していたスイーツまでポンポンとカゴの底に着地させられる。 「ちょっと」 「最近ロクに貢いでない」 「貢ぐのを基準にしちゃだめですって」  貢ぐことが生きがいなのはキャバクラに通い詰めているおじさんか、ホストに通い詰めるお姉さんか、利用されている事にも気づけない恋人依存型のメンヘラくらいだ。基本的に貢ぎ行為は良くない。  俺はキャバ嬢じゃないしホストでもないし人を利用する悪党でもないけど、買い物カゴの中に入れた物は結局瀬名さんに全部買ってもらった。レジでジーッと肉まんを見ていたら追加注文までされている。 「すみません、肉まんも一つ」  隣から上がったその声。はっと横を見上げる俺。レジ打ち中のお兄さんから若干やる気なく返ってきたのは少々お待ちくださいませの定型文。 「…………」 「見てたのはあんまんだったか?」 「……肉まんです」  とても食いたかったです。  コンビニ内でのちょっとしたお買い物ですらこの人には負かされる。出入り口にドアがあれば俺のために必ず押さえて待っているのが瀬名さんという人間だけど、コンビニのドアは自動開閉なのがここで唯一の救いだった。  ガラス張りのコンビニの前は夜でも過剰なまでに明るい。重度の貢ぎグセがある男のせいで大きくなってしまった袋は俺じゃなくて瀬名さんが持っている。その中からガサゴソと肉まんだけを取り出して、白い光に照らされながらこっちに向けて差し出してきた。 「ほら食え」 「犬じゃないんですから」 「ワンと言ってみろ」 「噛みつきますよ」  手渡された白い袋はあったかくてふっくらしている。もちっと丸っこい食い物を中から出すと微かに湯気が立つのが見えた。 「半分食います?」 「いらない。冷凍だろ」 「うわ、すげえ感じ悪い」  この人はどっかの良家の出なのか。コンビニの冷凍肉まんだってバカにはできないクオリティなんだぞ。  店内の明かりがはっきりと届く正面駐車場には数台の車が。俺達から向かって左側、二台分向こうのスペースには黒いセダンが停めてある。中には人が乗っているのも見えた。  肉まんに一口かぶりつきつつ、そこから一歩踏み出そうとすれば隣からスッと手を繋がれた。それで咄嗟に、パシッと弾いた。歩き出すはずだった足もそこで思わず止まっている。  瀬名さんに顔を向けるよりも、黒いセダンにまず目が行った。ドライバーと視線は合わない。撫で下ろす。ほっと、胸を。 「……だめですよ」 「付き合ってんだからこれくらいはいいだろ」 「いやだって俺達は……」  男同士じゃないですか。ただそれだけ、言うつもりだった。けれど寸前で止まっていた。  ほんの少し前であれば躊躇いなく言えただろう事を、今はもう言えなくなっている。 「……いえ」  適当にはぐらかし、目を逸らしたまま今度こそ踏み出す。俺が黙って歩き出せば瀬名さんも隣を並んで歩いた。  店内の明かりが届く範囲から離れると辺りは一気に暗い。この暗さならきっと、弾かなかった。誰にも見えない。それが分かってる。見えない事を分かってさえいれば、こっそり隠して繋いでいられる。  ふっくらした肉まんを持ち直し、歩きながらカプッと食いついた。まだちゃんとあったかい。美味いしやっぱり、バカにはできない。 「……さっき肉まんの下にチョコまん置いてあったじゃないですか」 「あったな」 「ああいうのって食った事ないんですけど美味いのかな」 「気になるなら買ってくる。先帰ってろ」 「違う違う違う違う」  くるりと体の向きを変えた瀬名さんの腕を慌てて掴んだ。冗談でもなんでもなくて本気で買いに行こうとするのが怖い。 「どうしてあんたはそうなんですか」 「貢ぐチャンスだろ」 「どんな価値観してんだよ」  とりあえず貢ぐってとこから離れろ。俺が恋人利用型の悪党だったらどうするんだ。  瀬名さんの腕をぐいっと引っ張ってマンションの方を目指して歩いた。そうやって引っ張っていたのは最初だけ。こっちが掴みかかっていたはずがいつの間にか自然と手を取られ、指を絡めて今度こそつながる。  変質者に気を付けろなんてわざわざこの人が言ってくる程だ。それくらい人通りがない。この時間帯はいつもそうで、街灯はあるけど申し訳程度。  それが分かっている今は、弾かずに、繋いでいられる。瀬名さんの顔を見られないまま俯きがちに歩いていたら、指先に力を込められた。 「明日はチョコまん買って帰る」 「だからいりませんってば」  この男に不用意なことは言えない。
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