瀬名さんのダチ

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*** 「駅の近く……?」 「うん。つっても路地裏の目立たない店だからね。気づかないで通り過ぎる人の方が多いかな」  急遽招く事となったお客さんは料理人だった。俺の夕食がまだだと知るなりキッチンに立ち始めたこの人。二条さんは瀬名さんの同級生だったそうで中学時代からの付き合いらしい。  さっき知り会ったばかりの人と二人で調理台の前に立ち、あれこれ話し込んでいる間も二条さんは手を止めない。極細の千切りにされていくニンジンを横から見下ろした。 「そういやレストランやってる知り合いがいるって瀬名さんが言ってた事あるんですけど……」 「あー俺だねそれ」 「…………もしかして前に、野菜の販売業者……」 「うんうん、教えた教えた」 「…………」  この人か。  瀬名さんがうちの住所に大量の野菜を送り付けたあの日が懐かしい。チコリだとかアーティチョークだとか、その時は名前も知らなかった野菜たちと初対面した。 「あいつにメシ作ってやってんでしょ?」 「ああ……はい、まあ。たいしたものは作れませんが」 「喜んでたよ。弁当まで用意してくれるって」 「いえ……はは……」  どこまで話しているんだあの男は。  プロの横で野菜の下処理を行いながら、その手元をもう一度こっそり窺う。二条さんの包丁さばきはさすが料理人と言った感じだ。無駄がない。そして鮮やか。ずっと見ていたくなる。とは言えじーっと目にしているのも不審だろうから手伝えることをチマチマとやった。  短時間のうちに、しかもあり合わせで、二条さんはテキパキとおかずを調理していく。今夜もあの人の帰りが遅いのは分かっていたから冷蔵庫には晩飯用の食材をろくに入れていなかった。にもかかわらず作ってもらった料理をテーブルに並べてみたらちょっとした小料理屋のようになっている。  いつもなら瀬名さんが座る場所に今夜は二条さんが腰を下ろした。水を入れたグラスを持って俺もその前の席へ。今日初めて会った人に豪華な晩飯を作ってもらった。 「遠慮しないでどんどん食べて。って俺が言うのもなんだけど」  二条さんはこの通り気さくな人だ。知り合って一時間と経っていないが緊張感はもうどこにもない。  クズみたいな野菜の残りもここまで美味いスープにされたら本望だろう。ナスの炒め方が難しいと何気なくこぼしてみれば、油でギトギトにならない調理方法もついでだと言って教えてくれた。  冷凍してあった小アジで作られた南蛮漬けの半分は冷蔵庫の中。二日くらいなら日持ちするからとストック用も作ってくれた。皿に盛った分に箸をつければ大げさではなく感動する。絶品だった。プロはすごい。 「なんかかえってすみません」 「いやいや助かったよホント、実はかなり腹減ってたから。つーかごめんね俺までちゃっかり」 「そんな。とんでもない」 「口に合う?」 「スゲエ美味いです」 「そりゃ良かった」  二人で食いながら話を交え、一時間もしないうちに皿の上はすっかり綺麗になっている。なんのお構いもできないどころか逆にメシを作ってもらい、せめてお茶くらいはと思ってみても現在うちには特売価格のコーヒーくらいしか出せるものがない。それでもまあ無いよりはいい。お構いなくー、なんて言われながらもとりあえず安いコーヒーをいれた。  瀬名さんが帰ってきたのはそこからさらに少ししてから。隣のドアの開閉音が微かに聞こえたその数分後、うちのインターフォンが鳴らされたのを聞いてコーヒーを手放し席を立った。 「帰って来たっぽいですね」 「恭吾?」 「ええ。ちょっと待っててください」  こんな時間に訪ねてくるのはあの非常識な男しかいない。案の定ドアを開けるとそこにいたのは瀬名さんだった。 「ただいま」 「お帰りなさい」 「会いたかった」 「そういうのいいんで」  ぎゅうっと抱きついてくるこの男。  帰宅した瀬名さんがここに来るのはいつもの事だ。ジャケットも鞄も一旦は自宅に置いてくるからその手は左右とも空いていて、そのため内からドアを開けるなり抱きつかれるのもほとんど毎日。ほとんどと言うか本当に毎晩。けれども今夜は即座に拒否した。やや腰を引き気味にしながら両手だけをその胸板へ。 「待った」 「分かってる。ダメと言いつつウェルカムなやつだろ」 「じゃなくて」  今夜も瀬名さんの頭はわいてるが構っている場合じゃない。  しつこく抱きついてくる男を適当に突っぱねる。ちょいちょいと足元を指さした。そこには俺のスニーカーと、もう一組。男物の靴。 「……誰か来てんのか?」 「あなたの友達が」 「あ?」  ダイニングのドアを閉めてきたのは正解だった。瀬名さんの手は俺の腰から離れない。 「二条さんが来てます」 「あぁ?」 「なんか奥さんと喧嘩したみたいで」 「…………」  その瞬間の、この人の顔。くっと眉間が寄ったのを見た。 「……上がるぞ」 「あ、はい」  常に冷静でどちらかと言えば物腰柔らかな大人の男が、なんだかちょっとだけトゲを含んだ。部屋のドアもガッと開けられる。 「おう、おかえりー」  瀬名さんを迎えたのはマグカップを手にした二条さん。俺の隣の大人の表情が一層厳しくなった瞬間を目の当たりにして若干ビビる。 「相っ変わらずお前は社畜だよな。仕事ばっかしてて虚しくない?」 「…………」  急激にピリッとした瀬名さんの頬をその発言が更にピクリとさせた。悪気のない笑顔とともにブチかました二条さんを、見たこともないほど冷徹な顔をして瀬名さんが睨み下げていた。
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