瀬名さんのダチ

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***  どうぞも何も言わずに真っすぐ室内へ足を向ければこの人も控えめについてきた。いい年した大人の男がこんなガキの顔色を窺って恥ずかしいとは思わないのか。  ベッドの前に俺がドガッと感じ悪く腰を下ろしてもこの人はそこで立ち尽くしている。 「突っ立ってられると落ち着かないんですけど」 「……すまん」 「座ればいいじゃないですか」 「……ああ」  そう呟いて、その場に正座。マジかよこの人。プライドねえのか。  普段はベタベタとくっついてくる男がいくらか間隔をあけた場所から、それも正座で、気まずそうにこっちを見てくる。 「勝手に話して悪かった」  神妙な面持ちをしたこの人の第一声はそれ。 「申し訳ない」 「…………」  二言目もほぼ変わらなかった。一切の言い訳もなく本当にただ謝ってくる。たとえ相手がガキだろうと頭を下げることも厭わない。  偉ぶらないし驕らないし自分の非も潔く認める。他人に対してそうであれと多くの人間が説く割には自分でできない事ベストスリーだ。  簡単にできそうに思えて簡単にはできない事をできてしまうのが瀬名さんで、そんな人がたった一つやらかしたのが暴露すること。俺たちの関係を人に話した。ごくごく親しい、友人に。  それだけの事だ。お互いの状況を良く知っている、遠慮も何もなく暴言も込みで言い合える相手に俺の事を話した。さっき瀬名さんが安心しろと平気な顔をして言ったのは、安心していい相手だったからだ。二条さんには偏見も、好奇の目も何もなかった。 「……中学からの友達だって聞きました。二条さんから」  他に言うことが思いつかないから聞かされた事をそのまま言った。ラグの上についていた右手の、指先に少しだけ力がこもる。 「ずいぶん長い付き合いなんですね」 「……ああ」 「なんでも話せる仲ってやつですか」 「俺達のことは話すべきじゃなかった」 「本当にそう思います?」 「…………」  気の置ける友人にプライベートな話をするのは何もおかしなことではないし、何が悪いと聞かれたらそれまで。  その程度の事にいちいち腹を立てる奴の方がよっぽどどうかしているのだろう。これが逆の立場だったら俺はたぶん逆ギレしている。この人が全然責めてこないから正当ぶっていられるだけだ。 「二条さん、あなたのこと庇ってましたよ。大目に見てやってくれって」 「……そうか」  成り行きで話したとこの人は言った。相手が二条さんでなかったら、成り行きで話す事もなかったかもしれない。  問題は誰に話したかじゃない。どうして話したか。そんな事でもない。  あの瞬間に感じたのはただのイラ立ちなんかじゃなかった。つらいのとは違う。悲しいのとも違う。あれは不安だ。怖かった。  この関係を誰かに知られてしまった時に、俺の中でせり上がってくる一番強い感情は恐怖だ。  そうなることに今夜気づいた。気づかされてしまって、それで分かった。俺には全く覚悟がない。俺はこの人の恋人だって、胸を張って言うこともできない。 「周りの目とか、瀬名さんは気にしないのかもしれませんけど……俺は気になります」  たとえどんな些細なことでも、何がきっかけで物事が突然狂いだすかは分からない。誰かに知られて、後ろ指さされて、そういうつまらない何かのせいで俺達のこの関係までどうにかなってしまったとしたら。 「……あなたと……ダメになりたくないんです」  瀬名さんの顔は最後まで見ていられなかった。だからまた目を逸らした。  少数派に世間は厳しい。たかだが十八年生きただけでもそのくらいのことは知っている。田舎と言われるような地方の狭い環境で育ってきたから、偏見と固定観念を持った人たちがどれだけ多いかもこの目で見てきた。  こうあるべき。そうなるのが普通。世間の多数意見は常にそう。男同士でどうにかなるのも自然なことのうちの一つだと、そんなふうに思ってもらえる心の広い環境を、少なくとも俺は見たことがないしこの先もそれは変わらないだろう。  男が男と付き合うのはおかしい。年だってこんなに離れてる。人の多い日中の街中でもしも堂々と手を繋いだら、擦れ違う人達の視線をいちいち気にしながら歩くことになる。
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