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一番いい選択肢が頭に浮かんで肘をついた。よっこいせと起き上がりながら瀬名さんの胸板を押しのける。その瞬間にこの人の眉間がクッときつく寄ったのを見た。
見るからに不服そう。瀬名さんも案外分かりやすい。そんな男に俺ができるのは知らんぷりで押し通す事だけ。
手を伸ばしたのはベッドの上だ。放られたスマホを無事に奪還して早速画面を表示させた。じっとりと俺を見つめるドス黒い眼差しには気づいている。
「……正気か」
「あなたよりは」
「少しは状況考えろ。色気がないにも程がある」
「俺にそんなもん求めないでください」
キスの最中はおとなしくしてたもん。
「慣れるようにと思ってやってたがお前逆に慣れすぎただろ。このタイミングでバイト探し再開させる意味が分からねえ」
「だから言ってるじゃないですか。こっちは生活かかってるんです」
「お前のことは俺が養うとあと何回言わせるつもりだ」
「養われる気はありませんってあと何回言えばいいんですか」
中断の恨みはだいぶ深かった。瀬名さんがここにいるとやりたい事も全然進まないからうかうかしていたら明日になりそう。そうなればもちろん明日の夜も邪魔されるに決まってる。
「学生だってちょっとは忙しいんです。いくら家賃が格安っつっても遊んでばかりはいられませんよ」
時給と仕事内容と勤務地を比較しつつ食い扶持候補を次々に見ていった。そんなに多くは望んでいなくてもブラックバイトに捕まるのは困る。
同期の小宮山が先月くらいまで働いていた所が酷かったそうで、明らかに一睡もしていない顔で一限目の講義にギリギリ間に合って駆け込んでくることがたまにあった。急な呼び出しで代返も多数。ようやく辞められるとうんざりしながら言っていたのは先々月だが、実際に解放されたのはそこからさらに一ヶ月後。変なバイト先に当たってしまうと辞めるのも楽じゃないらしい。
ダチの苦境をこの目で見ているから若干守りに入り気味だ。スクロールして目に入ってくる従業員の紹介画像はどれもみんないい笑顔。いかに融通が利くバイトであるかを必要以上に強調してくるし。大歓迎がすげえ太字だし。
なんだか全部怪しく見えてくる。いっそ生協で紹介している家庭教師でもやろうかな。
「……なあ」
中学までなら受験生も含めてたぶん対応できると思う。高校生でも一年くらいまでの範囲だったらどの教科でも大体はいけるはず。
家庭教師も視野に入れて大学のウェブ掲示板を開いたその時、おとなしくなったと思ったこの人が探るように呼び掛けてきた。
「……ここってそんなに言うほど安いか」
「はい?」
一分も黙っていられないのかこの大人は。意味深長な言い方も気になる。
「もしやとは思っていたんだが……」
言いかけたくせにそこで止まった。なんなんだ気持ち悪いな。不審にチラッとその顔を見ると複雑そうな表情をしている。
「……いや。いい」
「なんですかもったいぶって」
常日頃からきっぱりしている人がどうした。含みのある言い方をしておきながら途中で止めるのはうちでは禁止だ。
言いたい事があるなら言え。目で訴えたら瀬名さんはふっと視線を逸らした。
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