事故かもしれない物件

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 安くないはずの部屋に春からずっとすごく安く住んでいた。古いし狭いし最高ではないけど生活するには最適だった。  そんな場所で何も考えず毎朝毎晩寝起きしていたが、お得な暮らしを手に入れた俺は何かに感付くべきだったのか。  可哀想なものでも見るような目をこの人は俺にぎこちなく向けた。同情と苦心が入り混じったその顔。気になる半面で聞きたくないが瀬名さんは言いづらそうに口を開いた。 「ここに住み始めて何か変わったことは」 「変わっ、た……?」 「たとえば……」 「なんです?」 「……帰ってくると置いてあった物の位置が変わっている。深夜に不審なラップ音が聞こえる。寝ていると時々金縛りにあう。たまに不気味な人影が見える。排水溝を掃除してると身に覚えのない長い黒髪がズルズルと奥から出てくる。など」 「…………待って待って待って待って」  急に寒気が。なんだその例え。自分で自分の腕をさすった。 「……うそだろ」 「さっきも言ったが俺もはっきりとしたことは知らない。この目で何かを見たって訳でもねえ。ちょっと一瞬思い浮かんだだけの勝手な憶測だから気にするな」  すげえ具体的な怪奇現象並べてから言うんじゃねえよ。  震えそうな手で握りしめていたから手のひらにスマホが張り付いている。スリープ状態のディスプレイを意味もなく点灯させた。パッと明るくなった画面を目にしても落ち着かないのは分かってる。 「仮にですけど……マンションとかの住人にもしもなんかあったときって、そのあとの入居者に知らせる義務、みたいなの……発生するんじゃ……」 「永遠にってことはないだろ。ある程度の期間が過ぎれば告知義務も普通は消える。つってもケースバイケースだろうし、そもそもここで事件なり事故なりが実際にあったのかは分からねえが」 「じゃあなんで、こんな家賃……」 「すまない。それも分からない」  分からないのにどうしてそんな憐れみの眼差しを向けてくるんだ。 「瀬名さん……俺の前にここ住んでた人と話したことは……」 「ない」  こんなときばっかキッパリ言われる。すっかり都会に染まった大人め。地方を捨てた奴はみんなこうなる。 「擦れ違った時に会釈する程度だった」 「そうですか……」 「だが見かける度にどんどんやつれていったような気はする」 「え……」 「今にして思えばまともに寝られるような状況じゃなかったのかもしれない」 「は……?」 「ここだけの話、夜中に怯えたような声で隣人が叫ぶのを聞いたことがある。やめろとか来るなとかあっちに行けとか」 「…………」 「ヤモリでも出たんだろうとあの時は思ってた」  瀬名さんのボディーブローが地味に激しい。 「その住人は越してきてから半年程度で突如出ていった。その前の奴も確かそれくらいだが空室の期間も長かったと思う。それ以前になると俺はまだここにいなかったから分からない」 「…………」  顔面から血の気が引いていく。そういえば不動産業者の人も、急に空きが出たとかなんとか言っていたようないなかったような。 「や……でも、俺……半年以上ここ住んでますけど今まで変なこと一度もなかったし……」 「成仏したんじゃねえのか」 「…………」  成仏とか言うな。そんなあからさまな心霊ワードを聞かせてくるな。
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