事故かもしれない物件

7/13
前へ
/1408ページ
次へ
 きょろっと部屋を見回した。壁の角を凝視する。置いてある棚との隙間にできた細い暗がりがなんだか気になる。時計のカチッと響く音はいつもよりも重く大きく聞こえた。  そしてその瞬間、タンッと。金属音のような短い音がして弾かれたようにビクッと肩が揺れた。  キッチンの方を見る。流し台だ。ただの水滴だ大丈夫なんでもない。  なんでもない。はずなんだけど。 「……盛り塩とか……」 「素人が半端にやるとかえって怒らせると聞いたことがある。知らねえが」 「…………」  他人事だと思いやがって。 「いっそのこと管理会社に問い合わせてみるか?」 「えっ、いえ、何もそこまで……」  知らない方がいいこともある。もしも事実として確定してしまったらこのままここにいる勇気はない。けれどバイト先を失ったばかりの俺には引っ越しのための資金もない。  俺を見て瀬名さんも何かを察したのだろう。それ以上の強制はされなかった。でも代わりに同情はされてるっぽい。やめて。 「大丈夫か。顔真っ青だぞ」 「おかげさまで……」 「たとえここが本当に事故物件だったとしてもこれまで何もなかったってんならそう気にすることはない。今後もし何かが起きたらヤモリが出たんだと思えばいい」  ヤモリヤモリとうるせえな。ここでヤモリなんか見た事ねえよ。  気になることを突然言いだした張本人がなんの気休めにもならない事を言ってくる。しかも言うだけ言って立ち上がった。座ったままその顔を見上げる俺は今にも腰が抜けそうで立てない。 「……帰るんですか」 「そろそろいい時間だからな」 「…………」  すっげえブーメラン飛んできた。この人こんな意地悪だったか。  追い出そうとなんてするんじゃなかった。早く帰れ的なこと言わなきゃよかった。バイト探しももうどうでもいい。半ば絶望的な気持ちで瀬名さんの顔を見上げるも、無情なこの人は俺に背を向けて一人でさっさと部屋から出ていく。 「瀬名さん……」  呼び止めたら振り返ってくれたけれどその先は続かない。  帰らないでください、なんてカッコ悪いことはこの人に言いたくなかった。そんな事を言うくらいなら呪い殺された方がマシだ。  いや。いや、うそです。間違えました。生きていたいです。呪い殺されたくはないですごめんなさい凄くごめんなさい。喉に長い黒髪が詰まって死ぬとか包丁が眼球に突き刺さって死ぬとか工事現場の下を歩いていて降ってきた鉄板に潰されて死ぬとかそういうのだけは絶対に嫌だ。  放心とパニックが交互にやって来る。惨い死に方はどうにか避けたい。白い服を着た長い黒髪の目が血走った女にも会いたくない。  呪いよりも精神的ショックでへたり込んでいる俺の近くにそっと戻ってきた瀬名さんは、すぐ目の前で屈み込み、頭にポンと手を置いた。  落ちつけるように撫でてくるけどこの人の顔から読み取れるのは憐みの感情百パーだからむしろ余計に打ちのめされる。 「俺がお前に言ってやれるのはこれだけだ」 「え……?」 「がんばれ」 「…………」  そんな。酷いよ。何を頑張れと。わざわざ戻ってきて言う事がそれかよ。なんで今日そんなに意地悪なの。  いよいよ泣きそうになってきた。瀬名さんは本気で俺を置いていく気だ。再び立ち上がったこの人を縋るような気持ちで見上げたが、演出がかったわざとらしい溜め息を深々と吐き出されただけだった。 「最後にもう一つだけ言っておく」 「……はい」 「今夜一緒に寝てほしい相手が欲しくなったら俺に言え」  は、と口がポカンと開く。  間抜けに固まって呆ける俺。顔だけは真面目にうなずいた瀬名さん。隣のキッチンの流し台では再びタンッと水滴がはねた。 「…………」  今までの話が嘘か本当か一瞬にして疑わしくなった。
/1408ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6503人が本棚に入れています
本棚に追加