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首の後ろに感じたのはやわらかい唇の感触。最近よくここを狙われる。撫でるように口付けてきたかと思えば、チュッと軽く吸い付かれた。
「いいにおい」
「……うん」
ホワイトソースの濃厚なミルクと、チーズが焼ける香ばしい匂い。それが部屋の中を満たしている。
可愛い子ぶったリクエストだろうとこの人にお願いされてしまったら作らない訳にはいかない。
「ちょっと、いいチーズ買ってきました」
ドリアではなくチーズドリアと言われたからにはチーズに主眼を置くべきだ。実際にこの人がそこまでチーズにこだわっているかは分からないけどとりあえずちゃんとしたチーズを選んだ。
それをオーブンに入れたのはついさっき。耐熱皿の中に収まって香ばしくあっためられている。
首の後ろに執拗にキスされ、時折思い出したような甘噛みも。唇の位置はどんどん下がって、肩の辺りまでおりてくる。
「一気に腹が減ってきた」
「……あともう少しでできあがります」
「新妻かよ」
「なんでだよ」
グイッと後ろに肘を引いた。背後の体を押しのける。
調子に乗るな。誰が新妻だ。腹に回された腕も引き剥がして冷蔵庫の前に避難した。
冷やしてあったサーモンと野菜を取り出して再び調理台の前へ。玉ねぎとパプリカを薄切りにして、レタスをちぎって豆苗をぶった切って、あとはサーモンを野菜の上に適当にばんばん散らしていればオーブンの中のドリアも焼き上がる。
「なあ。どうしてこっちで待ってた」
急に聞かれて手が止まる。妥当な言い訳は浮かばないから、可愛くない答えを言うことにした。
「俺にカギ渡したのあなたじゃないですか」
「そうだな」
「……ヤモリが出そうな予感がしたんです」
「そうか。なら仕方ない」
「…………」
仕方ないともなんとも思ってない。俺の頭の中なんてどうせこの人には筒抜けだ。瀬名さんが俺に見せるのはいつも余裕の表情だ。
一日中、ほんとアホみたいに丸一日、もらった銀色が気になって気になってそわそわしっぱなしでどうしようもなかった。
壁一枚挟んだ真隣でもドアの存在はずっとデカかくて、だけど俺は鍵をもらった。それは好きな時ここに来ていいと許しをもらった事の証拠だ。実際にこの人はそう言った。いつでも来い。その言葉に甘えた。
お化けはいい口実だった。薄気味悪いのは本当だけど。もらった合鍵が嬉しくて、朝に閉めてきたここのドアをまた開けずにはいられなかった。
二つの皿それぞれに盛りつけたサラダにサーモンの赤が鮮やかに乗っかる。完成したタイミングを待ちかねていたかのように、そっと後ろから肩を引かれた。
床に置かれていたカバンの中から取り出された小ぶりな何か。クリーム色の包装紙にはさらにピンクのリボンが巻いてある。長方形のそれをこっちに差し出され、咄嗟に両手で受け取った。
「マカロン」
小さくて可愛いお菓子の名前だ。マカロンをもらうのは確か、ミキちゃん事件の時以来。
「……好きです」
「知ってる」
腹立つなチクショウ。今に見てろよ。必ずぎゃふんと言わせてやるからな。
ドリアをこんがりさせていたオーブンは、ちょうどよく焼き上がりの音を鳴らせた。
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