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エレベーターまで歩きながらミキちゃんはふふっと笑った。チラリとその顔に視線を落とすと、面白そうに見上げてくる。
「赤川くんって普通にああいう事しちゃう人だよね」
「なにが?」
「ドアとかよく押さえててくれるでしょ?」
それは普通に誰でもやるだろ。目の前にいるのが両手の塞がった女の子ならばなおさらだ。
ところがそこで、ふと気づいた。今朝の俺は自宅の玄関を出ながら、スマートな恋人の行動をどう思って、どう感じたか。
「…………お手本が……」
「え?」
「なんでもない」
しまった。またしてもあの男のせいだ。
気づくんじゃなかった。原因は瀬名さんだ。いつもさり気なくドアを押さえておくサラリーマンを見慣れているからだ。
俺の両手が塞がっていようと、仮に手ぶらのときだろうと、ドアを押さえて待っている男が身近にいるせいでそれがうつった。
その行動をとれる日本人男性はそんなに多くは存在しない。今朝思ったばかりじゃないか。何が誰でもやるだ、やらねえよ。
もしも瀬名さんと付き合っていなければ、俺だってそれができない男のうちの一人だったはず。
実家にいた頃に母さんからしょっちゅう投げられていた三大小言は、暇なら買い物くらい行ってきて、ボンヤリしてるならお風呂でも洗って、いつもいつもあんたはほんとに気が利かないんだから全くもう、だ。
縁側でガーくんを観察しながら昼間からゴロゴロしていると、手伝いくらいしてくれたっていいじゃないのとよく怒られた。
おかげで料理も掃除も洗濯も人並みにできるようにはなったが、基本的には気が利かない。誰かのために何かをするという意識はめちゃくちゃ底辺だった。
女子のためにドアを押さえておく紳士気取りのサムい行動を、気の利かない俺が取るなんて。
あり得ない。あの野郎。人のアイデンティティまでズカズカ侵食してくんな。
「赤川くんはもっと冷たい人かと思ってた」
この子もこの子でかなりズカズカ言ってくる。
「まあ優しくはないよね」
「うん。私のこともバッサリ斬ったし」
「ミキちゃんそれずっと言う気?」
あははと軽く笑うミキちゃんは、根には持つような事はないもののしばしば俺をからかって遊ぶ。
見た目とは違ってしたたかな子だ。カフェで急に泣きだしたのと、玄関前で俺に抱きついたのは、その時ハマっていた韓国ドラマで主役の女がやっていたことだそうだ。
緊張してたのは本当だけど、ドラマのシーンと状況似てたからなんだかテンション上がっちゃってつい。私を見た時の赤川くんのあの面倒くさそうな態度がね、主人公が片想いしてるクールで素っ気ない御曹司に似てたの。
ミキちゃんに笑いながら白状された時、この子はふわラテじゃないと確信した。
ちなみに韓国ドラマを見始めたのは韓国語を覚えたかったからだとか。御曹司モノが特に好きらしい。
「ねえそう言えばさ、相手の人とはどうなったの?」
「え?」
「あの時言ってた人。その人以外は考えられないって熱烈に語ってたでしょ?」
「…………」
言ったな。そういや、そんな事も。言うんじゃなかった。もう二度と言わない。
「年上の人なんだよね?」
「え……なんで……」
「話聞いてるとそんな感じだったから。違った?」
「……合ってる」
ふふんと笑われる。女子って怖い。こういうところホントに怖い。
「で、どうなったの?」
「……それ聞いてどうすんの」
「だいたいの女の子はこういう話が好きなの。で?」
「…………」
エレベーターはまだ来ない。適当にはぐらかそうにも、ミキちゃんが相手じゃそれは無理。
「……付き合ってるよ」
「ふーん」
「……なに」
「うまくいかなければいいのにって実はちょっと思ってた」
「思ってても普通言わないからねそういうの」
悪気なく笑うミキちゃんを、ふわラテと思った俺は未熟だ。
人は見た目じゃ分からない。
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