恋の悩み

12/14
前へ
/1414ページ
次へ
 手抜き料理を二人で平らげ、豆腐もしっかり始末できた。  俺は明日から春休みだから心なしか気分も軽い。やる事なんてバイトしかないけど。今度の夏には教習所行こう。  ダイニングテーブルの上にコトッと置いたのはお揃いで買ったマグカップ二つ。お茶の入ったそれの片方を手元に引いた瀬名さんは、腰を下ろす俺をガン見しながら大きめの独り言を呟いた。 「あー……抱きたい」  目の前にいる人から脈絡もなくそんなことを言われる恐怖。 「最近ちょっと露骨すぎますよ」 「毎晩お預け食らってりゃこうなるもの仕方ねえ。こんなに待てのできる恋人を褒めてやろうって気にならねえのか」  なんで俺はこんな男が好きなんだろう。  シカトしてズズッとお茶をすすった。  自分の恋人の感情表現が必要以上に熱烈だから、基本的には鬱陶しいけどある意味でこれは幸福かもしれない。  気持ちを長年押し込めたまま、好きな相手のそばにいる事を選ぶ奴も世の中にはいる。そのうちの一人が浩太だったのは予想外としか言えないが、女の子が大好きなあいつにとって、ミキちゃんは唯一の特別だ。 「瀬名さんは悩みとかなさそうでいいですね」 「ここんとこ毎日ムラムラしてて困ってる」 「ばか」  なんの悩み抱えてんだよ。それを俺に言ってくんなよ。 「……世間の大多数にとっては恋ってもっと難しいんですよ」 「急にどうした。シェイクスピアでも読んだのか?」 「読んでません」 「じゃあどっかで拾い食いでもしたのか」 「あんたは俺をなんだと思ってるんですか」  シェイクスピアはよく知らないし拾い食いして脳の一部がおかしくなったわけでもない。  失礼な男に一連のかくかくしかじかを話してやった。浩太のことはたまに話題に出すから瀬名さんも名前だけなら知っている。ミキちゃんに関しては言うまでもない。その姿も覚えているだろう。  意外性の宝庫たる女の子に意外な気持ちを抱いていたダチについて話し終えると、そこまで黙って聞いていた瀬名さんはコトッと静かにカップを置いた。 「ああいう状況を生み出した女の話をお前はよく平気で俺にできるな」 「ミキちゃんって喋ってみると結構面白いんです」 「……ほう」  一言だけ呟き、そのあとはピタリと無言。その間にも視線だけは感じる。  なんて言うかこう、ドロドロしたタイプの視線だ。 「……え、ちょっと。今になって怒るのやめてくださいよ。あれいつの事だと思ってるんですか」 「あの手の事件に時効はない」 「うわ……ねちっこい」 「ねちっこいとはなんだ。言い訳させろと泣きついてきたのは誰だよ」 「はあ? 誰も泣きついてねえし」 「いいや、あの時のお前は完全に泣きそうだった。間仕切り越しにはっきり感じた」 「記憶の捏造しないでください」  泣きそうになった覚えはない。あの現場をスルーした瀬名さんこそ急によそよそしい態度になった。 「つーか自分こそイジけてたじゃん。俺の作った晩メシまで拒否しようとしましたし。食ったらさっさと帰ったし」 「なんてねちっこい奴だ」 「あんただろそれ。細かいことでネチネチネチネチネチネチネチネチ」 「俺はそこまでネチネチしてない」 「してるから言ってるんです。心が狭いって言うか、器が小さいって言うか。割と前から思ってましたけど見掛け倒しにも程がありますよ。いい年してクソ情けねえ」  うっぷんを晴らすように畳みかけると、さすがのこの人も眉をひそめた。 「……言いすぎだろ」 「十分オブラートに包みましたが」 「それのどこがだ。最近の大学生はまともな口の利き方も知らねえのか」 「最近の若者はとか言いだす大人にロクなのいませんよね。無駄に年だけ食ったジジイは年下に説教しかできないんですか」 「ああ言えばこう言ってくんじゃねえよ。こましゃくれたガキがつけ上がりやがって」 「うっせえな、メンタル脆弱リーマンがごちゃごちゃと偉そうに」 「偉そうなのはお前だろうが。少しくらいは目上を敬え」 「年下に敬われるような行動たまには取ってみろクソジジイ」 「生意気ばっか言ってんじゃねえぞペラペラと口だけは達者なクソガキが」 「そのクソガキと付き合ってんのは誰だよこの変態ジジイが」 「なんだとガキこら」 「なんだよジジイ」  睨み合う。お互いにジリッと。  テーブルと言う距離があるから辛うじて掴みかからずに済んでいる。  部屋の中は無音だから、俺達が黙るとシンと静まる。カチカチと鳴る時計の秒針に空間が支配されていた。  中途半端にヒートアップしたせいで、すぐにはなかなか引っ込みがつかない。 「…………」 「…………」  無言の睨み合いはしばし続いた。その状態を悪化させる前に、慎重に口を開いたのは瀬名さん。 「……やめねえか」 「ええ……。不毛な気がします」 「俺もそう思う。酷いこと言ってすまなかった」 「こちらこそ。クソジジイとか思ってません」  すぐ終戦した。
/1414ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6507人が本棚に入れています
本棚に追加