恋の悩み

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 全く倒せない原因の一つは瀬名さんの驚異的な体幹に違いない。いつもめちゃくちゃ姿勢がいいが、ちょっと軽く押してみるくらいじゃこの人のバランスは崩せないようだ。  ベッドの下には重めのダンベルが隠されている事も知っている。  俺は一体どうすれば。何をどうやって戦えば、この大人を上から嘲笑えるのか。  瀬名恭吾攻略のための策を無言であれこれ練っていると、ターゲットの方から腕を伸ばしてきて俺の手をやんわり引いた。  視線で示される。この人の膝の上。そこに乗れという意味だ。  さらにクイッと手を引っぱられ、渋々ながら従った。  瀬名さんの膝の上に跨って距離感を物理的にゼロにすると、目の位置がいつもとは逆転する。俺をいくらか見上げながら、体幹モンスターは怪しく笑った。 「いいか遥希こういうのはな、タイミングと相手の隙とスマートな動作が何より欠かせない」  そんなこと考えながらいつも俺のこと押し倒してたのか。  促されるままこの人の両肩にそっと置いた左右の手。そうすると腰にゆるく腕を回された。 「キスしろ」 「は?」 「それで俺の隙をつけ」 「…………」  こんなに明け透けな企みも珍しい。策略だって分かっているのに、乗せられる俺も俺だけど。  若干投げやりな気分も混ざりつつ、押し付けるようにして唇を重ねた。  俺が気持ちいいと思うことは普段この人がしてくることだから、そっくりそのまま真似して返す。  隙なんて、全然ついてない。それでも体勢は徐々に傾く。  瀬名さんが俺を抱きしめたまま、後ろにぽすっと倒れこんだ。  自分の隙をつけと言ってくる相手の隙をつけるはずはそもそもない。これを押し倒せたとは言えないだろう。瀬名さんに押し倒されてもらった。  この人の両腕に下から抱かれ、形だけ目的は達成できたけど、キスはやめずにしばらく続けた。くしゃりと髪に指を差し込まれ、撫でられる感触にぞわぞわしてくる。 「ん……」 「まだだ」 「……うん」  これじゃ普通に、ただのキスだ。いつもとは上下が違うだけで、いつもの気持ちいいだけのキス。  長ったらしく重なってから、ちゅっと音を立てて唇を離した。濡れた唇をこの人の指先がしっとりと撫でてくる。  上から見下ろすのは新鮮だ。瀬名さんの上に乗っかっているのは、誘導してもらった結果でしかないが。 「それで。俺を押し倒してみた感想は?」 「……スカしたその顔ぶん殴りたくなってきました」 「決まりだ。お前は色気を鍛えろ」  手首と肩を掴まれた。一秒後には簡単にトサッと、上下が入れ替わっている。  見上げるのは瀬名さんの顔。そしてその向こうにある天井。 「……どーせこうなるんですよ。知ってますよ、分かってますよ」 「そうイジけるな」 「人を負かしてばっかのやつにこの気持ちは分かりません」  今のでよく分かった。原因は背の高さじゃない。腕力の差でも体幹でもない。  俺の身長が二メートルあってゴリゴリのマッチョだったとしても、この男にだけは一生かかっても勝てないようにできている。  無言になってむくれていたらほっぺたにキスされた。ふいっと顔を背けて拒否したら、追いかけてきて口にもされた。 「気づいてねえのか?」 「……なにが」 「先に惚れた時点で俺は負けてる。どう頑張ってもお前には敵わない」 「…………」  これこそが大人の余裕というやつだ。  頬を撫でながら上に向かされ、今度は丁寧なキスが降ってきた。 「敗者は勝者に従わなきゃならねえ」  ゆっくりと啄みながら、そんな事を言ってくる。 「命令してみろ。俺にどうしてほしい」  どの角度から目を凝らしてもこの男は敗者に見えない。命令されるべきは俺の方だけど、この人は俺に命じろと言う。  自称敗者がそう言うのなら、一個くらい命令しても、バチは当たらないような気もする。 「……今の……もう一回」  スカした顔面がちょっと緩んだ。やわらかくなったその表情で、命令した通りにキスされる。  こんなに堂々としている敗者は世界中探しても瀬名さんくらいだ。敗者に操られて喜んじゃうのは、どこを探してもたぶん俺だけ。  腕を伸ばして抱き寄せた。勝ってもいないのに命令権を勝ち取ってさせたキスは、すごく長い。  恋人が熱烈で困っているのは、俺の贅沢すぎる悩みだ。
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