エロいバイト

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 二月の第一週目に実施された試験を終えて、大学が始まるのは四月から。二ヵ月近くもの休みができるが旅行に行く金は生憎ない。  春休みがはじまって最初の月曜の俺はこんなに呑気だけれど、平日出勤のサラリーマンの恋人は今日ももちろんお仕事だ。  チュンチュンとスズメが外で鳴いているのをのほほんと聞きながら、出勤前の大人のネクタイを結ぶのは俺の朝のお仕事。 「再来週の日曜の予定は」 「再来週?」 「にゃーにゃーにゃーだ」 「は?」  キュッ、と結び終えたネクタイから両手を離して怪訝に窺う。 「とうとう頭が狂ったんですか」 「違う。二月二十二日だよ。お前の誕生日だろ」 「……あぁ」  なるほど。いつもながらマメな男だな。  誕生日を瀬名さんに教えたのは付き合う前のことだった。言われるまで本人が忘れていたものをよくいちいち覚えていられる。  この人が六月十五日生まれの双子座だという事を、俺もしっかり覚えているけど。  ダイニングテーブルの上に用意しておいた弁当を取って瀬名さんに手渡した。ランチバッグの右下には猫のシルエットの可愛らしいワンポイントが入っている。  嫌がらせのつもりで買ってきたところ、この男は自らこれを愛用しだした。狂ってる。 「付き合って初めて一緒に迎える恋人の誕生日が日曜に当たるってのは世界に祝福されてるとしか思えない」 「瀬名さんって割とハッピーな人ですよね」 「アンハッピーなおっさんよりいいだろ。折角だから土日使って泊まりでどっか行くか」 「行きません。土日ともバイトです」  鼻歌でも歌い出しそうな様子で喋っていた瀬名さんの顔が、その瞬間に固まった。  愕然と俺を見つめ、世界の終りでも迎えたかのような絶望の声を返してくる。 「……信じられない」 「仕方ねえじゃん。誕生日で喜ぶ年でもないし」 「チビッ子どもがはしゃぐようなお誕生日会開こうってんじゃねえ。誕生日と言えば恋人同士の聖なる一大イベントだろうが」 「そうですか。知りませんでした」  この人の歴代彼女はさぞかし幸せだっただろう。たかが誕生日を聖なる日にしてこんなに待ち遠しそうにしてくれる恋人もなかなか珍しい。 「土曜のバイトはどっちだ。花屋か。家庭教師か」 「花屋です。日中にシフト入ってます」 「日曜は」 「家庭教師が四時から」  花屋のバイトは春休みに入る少し前に見つけた。大学から近くて行きやすいものの時給は正直言って良くない。  家庭教師は週一で入っている。一回につき指導は二時間。こっちはとても時給がいい。  俺の時給が良かろうと悪かろうと、ただ今の瀬名さんは不服そうだが。 「……信じられない」  二回目。 「誕生日にバイト入れるなよ……」 「僅かな食い扶持なんですから仕方ないでしょ」 「もう結婚しよう。俺の扶養に入れ」 「嫌ですよ。ていうか無理ですよ」  この国はまだそこまで先進的じゃない。
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