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半ば無理やり瀬名さんの近くにストンとお座りさせられる。
ビーカーから空の瓶に怪しい液体を移し替えると、そのあとの瀬名さんは当たり前のように俺の頭をワシャワシャしだした。
タオルドライも手慣れたものだ。この後はどうせドライヤーかけるんだ。
思った通り後ろから髪に温風を当てられて、しばらくの間はされるがまま。美容師さんみたいに丁寧な手つきだ。
うっかりすると寝てしまうから、ちょっとした実験後のようになっているテーブルの上に目を向けた。
なんとはなしに手に取ったのは、茶色くて小さい遮光瓶。
「……ゼラニウム?」
「お花の匂い」
「お花って……さっきこれ買いに行ってたんですか?」
「リラックスするらしい」
「なんでまた……」
確かにテーブルの周辺はいい匂いがしているけれど。
エッセンシャルオイルっていう名前だけなら俺も知っている。女子がよく使うやつだ。しょっちゅう使うのかたまに使うのか、何に使うのかは知らないが。
そんな用途不明の物体を瀬名さんがわざわざ買ってきた。ビーカーっぽい雑貨類まで一式買い集めて何か作ってた。
本人の言葉を信じるのであればただのマッサージオイルらしい。でも本当に、なんでまた。
もしやこの男ふわラテなのかと新たな疑惑を抱きかけたその時、髪から瀬名さんの手が離れると同時にドライヤーの音が止んだ。
「花屋のバイトはどうだ」
「はい?」
「イメージよりもキツイってよく聞く」
「ああ、まあ、はい。そうですね。店の人みんないい人なんで働きやすいとは思いますけど……なんですか突然」
オシャレで静かでおっとりしていそうなバイトのイメージを俺も持っていたが、実際やってみると重労働だしテキパキ動かないと仕事にならない。
潰れそうで現実に潰れた元バイト先の飲食店より、外観的な印象を裏切り体力的にはよっぽどキツイ。
しかし大学のすぐそばの店で、シフトもこっちの都合を何かと考慮してくれる。だからしばらくは続けたいと考えていたところ、唐突にそんな事を聞かれた。
家庭教師だけにとどまらず花屋にまで文句をつけてくる気か。
バイトに関してはこの前から散々ケチをつけられているから、ちょっとばっかし警戒しつつその顔を振り返った。
けれどこの人にその意図はなかったようだ。乾いた俺の髪を撫でつけてからテーブルの上に手を伸ばし、さっきまで混ぜていた液体を移し入れた小瓶を取った。
タラッと、瀬名さんの手のひらに少量だけ出された中身。透き通った普通のオイルだ。
隣で見ている俺の方にまでいい匂いがふわっと届いた。
「手ぇ出せ。両方とも」
キョトンとする俺の手を、この人が自ら取った。両手とも包み込まれる。オイルを伸ばした、瀬名さんの手のひらに。
「……なに」
「放っとくと荒れるぞ花屋は」
「別にそんな……」
花屋は重労働で、水にもよく触れる。冷え性で荒れ性な人には不向きだ。
そういう環境でバイトしてきた俺の手を、この人はオイルで丁寧に揉んだ。
「女子じゃないんだから気にしませんよ」
「女子じゃなくても切れたら痛いだろ。今の時期は特に地獄だ」
女の子の部屋に置いてありそうな道具を、揃えてきた理由が分かった。
このためだ。俺が痛くならないように。なんとなく卑猥な言い方をするから何かと思ったらこういう事だった。
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