にゃーにゃーにゃー前夜

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 とてもいい匂いがする。甘さと爽やかさを足して二で割ったような。  そのエッセンシャルオイルを希釈したホホバオイルとか言うやつは、油なのにそこまでベタベタしない。しっとりしたオイルを瀬名さんの手が、俺の手にじっくり揉み込んだ。 「平気か?」 「え?」 「こういうの初めてだろ。精油の量はかなり控えめにしてあるけどな。変にピリピリするとか」 「あ、いえ。大丈夫です」  肌は強いしなんでも食えるし花粉とだって友情築ける。アレルギーとは無縁だという話をいつだったかした事があったが、それでもなお気づかってくるのだから気の利く男は抜かりがない。  俺の手に異変がないと分かると瀬名さんはオイルの量を足した。  親指の腹で円を描くように手のひらをマッサージして、馴染んだオイルを指先にまで一本一本伸ばしていく。  左の小指の第二関節を、少し強めに挟んで、揉んで、ちょうどいい加減でグリグリしたら次はその上。第一関節。  そこも同じようにグリグリ揉まれて、最後は指先。爪の周辺。圧迫するように上から爪を押し、痛くない程度に擦りながらオイルを隅々まで馴染ませた。  考えてみれば手のマッサージなんて、生まれて初めて人からされた。 「……なんか……」 「うん?」  爪の形を確かめるように、瀬名さんが親指を動かしている。 「……いえ」  変な感じだ。  瀬名さんの指が動くと、俺達の手と手の間でオイルがくちゅッと音を立てる。指の関節を一箇所ずつ、ゆっくりと丁寧にほぐされた。  爪の先を撫でていたその手は、今度はスルスルと指の付け根に向かう。  人差し指と中指の間の股に瀬名さんの指が差し込まれ、ヌルッと擦れて、そこを撫でた。その隣のくぼみも、同じように。 「あの……」  なんか、これって。合ってるのかな。  手のマッサージに正解があるのかどうか、知識のない俺にはなんとも言えない。 「……瀬名さん……」 「痛いか」 「……いえ」  痛いかどうかではなくて。なんだかちょっと、変だなって思って。  分かって聞いているのだろうか。この顔は分かって聞いていそうだ。  機嫌よさげに薄らと笑みを浮かべ、手元は休めず俺の両手をオイルまみれにしていくこの人。  五本の指から離れると今度は、手のひらと手の甲をしっとり包んで優しい加減で撫でられた。手のひらの中心を念入りに揉み込み、親指の付け根の柔らかい部分もゆっくり押してほぐしてくる。 「これは。痛くない?」 「……平気です」 「少し強くしてもいいか」 「……はい」 「……ここは?」  くちゅっと手のひらを押されながら、耳に響いた。どことなく、低くなったような、その声。 「……は、い……平気……」  柔らかく盛り上がった箇所を親指の腹で強く押される。嫌な痛みにならない手前の、一番ちょうどいい気持ちよさ。  小指の下の柔らかいところも同じように指圧された。  そこから滑り落ちたこの人の指先は、手の付け根の、ほとんど手首に近いところにある、硬い骨に。  手首のちょうど真ん中くらい。骨と骨の間のところの、触るとくぼみが分かる部分を、この人の親指が行ったり来たりした。  手の甲もヌルヌルと撫でられる。俺の腰がいくらか引けると、きゅっと、左手を握りしめてきた。 「あの……もう、いいです」 「まだ右手をやってない」 「…………」  今のをもう一度されるのか。
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