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いくらテストが近いからとは言え、日曜日の夕方にまで意欲的に勉強するマコトくんは本当に真面目ないい子だ。
俺が中学の時はもっとぼんやりしていたと思う。家庭教師なんて考えもしなかった。
都会みたいに派手なイベントや楽しい遊び場はこれと言ってないから、いつも同じようなメンツで集まって隣町までチャリンコ漕いでた。
瀬名さんはどうだったんだろう。地方出身者とは言っても、あの所作や振る舞いを見る限り育ちは結構良さそうだ。
小学生の時も中学生の時も俺は地方のクソガキだった。小学生の頃や中学生の頃の若かりし瀬名さんは、どんな男子生徒だったのか。バカな事とか、したのかな。
思い出と空想に半分浸りながら暗くなった道を歩いていたら、マンション前の通りに差し掛かったところで向こうから歩いてくる人影に気づいた。
瀬名さんだ。その影が街灯のすぐ下に来たところで確信できた。
歩いてくる瀬名さんの方にこっちから駆け寄ると、そこで立ち止まったこの人の、やわらかい表情に迎えられる。
「お帰り」
「うん……ただいま」
淋しいと死んじゃうウサギがわざわざ迎えに来てくれた。
そこからは並んで歩きだす。右側に瀬名さん。左側に俺。俺達の周りには誰もいない。
ここの通りの街灯は、駅前のようには明るくない。住宅街にふさわしい程度のライトかりがちらほらとついている。
暗くて寒い夜の道で、右側だけ手袋を外した。それをバッグに放り込み、自ら外気に晒した右手。
直後に冷たさを感じたが、その手を俺がそれとなく隣に伸ばそうとするその前に、行動を先読みしたかのように瀬名さんの手に握られている。
腰よりも少し下の位置で、きゅっと、やわらかくつながった。
「……昼にあれだけ食ったのにもう腹減っちゃった」
「そう言うと思って用意してある」
「オムレツになり損なったスクランブルエッグですか?」
「見栄えと味の良さに定評のあるデパ地下のお惣菜だ。昔から盛り付けだけは上手い」
今日はやたらと笑わせにくる。任せろと言っていたから何かと思えば金に物を言わせてきたようだ。
元から手袋をしていなかった瀬名さんの手は少し冷たい。これで温まりはしないだろうけど、あっためたくて強く握り返した。
寒いのになるべくゆっくり歩く。でもマンションにはすぐに着いた。
中に一歩足を踏み入れればそこでは視界も明るくなるが、人もいないし足音もしないから、くっついたままエレベーターに乗った。
鉄の箱が狭いのをいいことに繋いだ手も離さない。瀬名さんの指が右側にあるボタンの三階を押すのを眺めた。続けて閉じるのマークのボタンも。
それに従ってドアがガゴッと閉じた瞬間、不意打ちのようにキスされていた。
「……ダメですよ」
「誰もいない」
「ここじゃダメ」
誰もいなくても自分の住処だ。万が一他の住人に見られたらそのあとの生活がちょっと気まずい。
などと思いつつも距離感はそのまま。ようやく手を放したのは瀬名さんの部屋の前に来た時。
この人がカギを開けるのを待って、二人で一緒に中に入り、背後で扉が閉まると同時に、肩に触れられた。隣を見上げる。そこでちゅっと、またキスされた。
ぎゅうっと抱きしめられたのはそのすぐあと。寸前に見た瀬名さんの顔は、どうしたってやわらかかった。
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