瀬名家

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「……うん。まあ……いいや。ご家族と鉢合わせにならないならそれで」 「そこまでうちの両親に会いたくねえか?」 「会いたくないっていうか……温泉から帰ってきたら知らねえ野郎が家で寛いでたとか嫌じゃないですか」 「そんなことねえよ。恋人だっつって紹介してもたぶん動じない」 「動じるだろ」 「家族に盆栽趣味のフランス人がいて妹の彼氏はラテン系だぞ。今さら俺がどんなやつ連れて来たところで驚くような親じゃねえ」 「十代の男子学生ってのはさすがに想定してませんって」 「想定外のことが起こってもあの二人なら秒で受け入れる」  あり得ないと言えないのが本当に恐ろしい。ご家族とは会ったこともないのに、目の前にいる男の性質を思うとあり得そうな気がしてくる。  のんびりゴロゴロしていたココが今度はキキに甘えだし、キキもココの前足を受け止め抱き合うようにしてじゃれつき始めた。  遊んでいる時はかなり激しくてもこういうときは二匹ともおっとりしている。和やかな光景を見守っていると、ラグの上についた手の上に瀬名さんの手のひらがそっと乗った。 「遥希さえ嫌でないなら俺はそもそも紹介したい」 「…………」 「いつかはお前の両親にも挨拶しに行きたいと思ってる」  瀬名さんは猫を見たまま、その言葉だけがこちらに向けられる。俺も同じく猫を見ながら、返答を少し、躊躇した。  びっくり、した。なんの身構えもなかった。さすがにそれは、はじめて言われた。  世の中の結構な割合の女性たちが、そんなふうに言われることによって喜ぶ理由を俺は知っている。理解できるはずのなかったそれを、瀬名さんとこうなって理解した。  理解だけじゃない。共感できる。嬉しいと、純粋に思う反面、それ以上の不安と恐怖が起こるのは今に始まったことじゃない。  俺たちのこれはどれだけのハンデだろう。恋人の気持ちを知っても手放しでは喜べない。  この人がどんなに俺のことを受け入れようとしてくれていても、俺がいつまでも尻込みをして、隠す方にばかり注意が逸れる。 「…………ごめんなさい」  気の利いた返答は一つも浮かばず、つまらない一言をポツリと落とした。上に重なるその手には、きゅっと力を込められた。  こうやって時々、唐突に思い知る。限界がある。それを感じる。  口をつぐんだ俺の手を瀬名さんは落ち着けるように握り、じゃれ合っていた二匹の猫は何かを察したように顔を上げた。  こっちを見てくる。二組の猫目にじっと見上げられている。横たえていた体をキキもココもすくっと姿勢よく起こし、キキは俺の目の前にお座りをして、ココは俺の膝の上にぴとっと両前足を乗っけた。  ふっと穏やかな笑い声をほんの微かに零したのは、俺の隣で二匹の猫の行動を見ていた瀬名さんだ。 「大丈夫だと言ってやれ。お前がそんな顔してるとこいつらが心配する」  前足を乗っけて俺を見上げながらコテッと首をかしげたココ。きちんとした姿勢でちょこんとお座りしたまま俺に視線を向けてくるキキ。  猫は家につくなんて言うけど、そればかりとは限らない。この子たちはやっぱり飼い主に似ている。優しい二匹からの心づかいを受け、強張りかけていた顔は途端に緩んだ。 「……ありがとな。心配ないよ。大丈夫」  キキとココの頭をモフモフすると二匹とも顔をこすり付けてくる。  大丈夫。口に出して噛み締める。それはきっと瀬名さんが俺に言いたい事で、俺が自分に言い聞かせるべき事だ。今すぐには無理だとしても、言える日がちゃんと来るといい。  いつか。そんなことは言わない。  瀬名さんは最初から受け入れてくれた。それに応えたいと思う気持ちがどんどん強くなっていくのは、あまりにも当然のことだ。
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