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俺達のいま住んでいるのも住み心地のいい地域ではあるけどさすがにこういう光景は見られない。気まぐれにカマドウマが遊びにやって来るくらいだ。
のんびりとした田んぼ道を並んで歩いた。反対側の西方面に行けばすぐ街中に出られるような土地だから、田畑とは言っても舗装されていて歩きやすい農道も大きく目立つ。それでも土でできた畦道がそこかしこに広がっているため、全体の面積を集計したらアスファルトの割合はそんなに多くなさそうだ。
夕方でもまだ日は落ちない。傾いた太陽はそこにある。数値で見るなら気温自体は都内とそこまで差はないはずだが、緑と土と綺麗な水が周りにどれだけあるかによって体感的な温度は変わる。
ここは風が吹けば微かに涼しい。暑いけど、嫌な熱気とは違う。
顔を上げれば数百メートル先に道路が作られ車も走っている。高架上を走る新幹線が通り過ぎるのも少し前に見た。
豪速で走るアルミの塊の下でも稲は綺麗に伸び伸び育ち、カエルは元気よくゲコゲコ騒ぐ。用水路を流れる水がチョロチョロ流れる音も聞こえた。
ここが瀬名さんの育った場所だ。大切な人の故郷を歩いている。
来られるとは思っていなかった。まさか連れてきてくれるとは。家族の猫たちと会えるなんて、絶対にないと思ってた。
「今度は……」
「ああ」
迷いも躊躇も何もなかった。当たり前のことのように、俺をここに連れてきてくれた。
「……うちにも来てください」
元々ゆっくり歩いていた瀬名さんの足がそこで止まった。それより一歩だけ踏み出して、俺も同じように止まった。
その顔を見る。少し意外そうで、びっくりしたようなこの人の表情。
いつかとは言わない。今度だ。次は。瀬名さんが俺を連れてきてくれたように、俺が生まれ育った場所をこの人にも見てほしい。
「あなたが思ってるよりもたぶん……もっとずっと、ど田舎でしょうけど」
紹介したいと言ってくれた。モフモフの家族たちにも会わせてくれた。
俺だってこの人をちゃんと紹介したい。この人が俺の恋人だって。それにガーくんと会せたら、瀬名さんはきっと大喜びする。
「一緒にどんぐり拾いましょう。おやつもらえるんだと思ってガーくんが後ろくっついてきますよ」
好きな人と一緒にいることを後ろめたいなんて思いたくない。瀬名さんに顔を向けながら言って、それから再び足を進めた。
俺に合わせてこの人も歩く。車道部分はアスファルトだけれど路肩は思いっきり土と雑草で、それよりも横に視線を落とせばカエルたちの住処がそこにある。
ここ以上になんもないど田舎だ。お披露目できるものと言ったら、木と土と広い空とガーくん。
それを楽しいと言うのがこの人。瀬名さんはいつも俺を受けとめる。今もまた微かに笑って、すぐ隣から俺に聞いた。
「ガーくんに気に入られるためにはどんなお土産がいいと思う?」
前方の坂からは、茶色いわんこを赤いリードにつないだ地元民らしき人がおりて来る。俺たちがペコッとするとそのおじさんもペコッとしてくれてついでにニコッとしてくれた。
しっぽを振ってわふわふ歩くわんこを擦れ違いざま眺めつつ、ケツを振りながらグワグワ駆けてくるガーくんの姿を思い浮かべた。
ガーくんへの賄賂。ガーくんはなんでも食べる。けれども強いて言うとするなら。
「そうですね……虫?」
「それはちょっと勘弁してくれ」
「カマドウマ生け捕りにして持ってったら喜ぶと思います」
「適当ヌかしてんじゃねえぞコラ」
本気で嫌そうな低音が響いた。こらえきれずに俺が笑うと本格的に嫌っそうな目をされた。
坂道を登っていく最中も瀬名さんはカマドウマの呪縛にすっかり捕らわれてしまっている。
キキならカマドウマを甚振るだろうが、瀬名さんは想像の中でさえもヘンテコなフォルムの昆虫に屈する。
いい年した男がすごくカッコ悪い。夏の夕方は本日も平和だ。
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