瀬名家

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 キキは玄関前から微動だにせず、ココはココでリビングのドアの向こうからニャアニャア言っているのが聞こえてくる。たまにカリカリ音もするから出たくて引っ掻いているのだろう。瀬名さんは完全に困り顔だった。 「……一度でも俺が帰る時にそんな熱心だったことがあったか」  そっちか。ちょっと悔しいんだろうな。  俺も実家を出てくる時にガーくんが普段通りゴハンに夢中で若干悲しかった覚えがある。  瀬名さんはその後しばらくキキの説得を試みていた。  映画に出てくる連邦捜査局の交渉人みたいにじっくり話し込み、けれどもキキはドアの前を動かずバシバシしっぽを床に叩きつけ。  機嫌が悪そう。ハンパない近寄んなオーラだ。クールな猫目が今はギラギラと威嚇を込めて瀬名さんを睨んでいる。  静かなそのせめぎ合いに割り込んでいいものかどうか分からず廊下に立ち尽くす俺はなんだか無様。帰ろうとしただけでこんなことになるとは全く思っていなかった。  瀬名さんをドアから遠ざけるようにキキは低い声でまたしてもニャッと。しかしその時、黒い耳がピクリと何かを捉えたように動いた。  不動明王のごとくドアの前に構えていたのが嘘みたいに、スクッと足を立て、トトトッと素早くホールに上がってきた黒白の猫。  そんなキキを見下ろす瀬名さんを俺も後ろから見ていたが、その次にはガチャッと、開錠の音を聞く。俺達が通過できずにいたドアが外からガチャリと開かれた。 「……あら? 久しぶりじゃないの恭吾」 「…………」  トッと、心臓が脈打ち、止まった。  聴覚はしっかりしているはずなのに空気からは音が消えた気がする。顔を合わせるなり呼びかけられた瀬名さんも詰まったように無言。  入ってきたのは一人の女性だ。肩にかかるくらいの黒髪の、化粧っ気はないがかなりの美人。  気取った様子のないふんわりした雰囲気で、その人は瀬名さんを、恭吾と呼んだ。 「もういないかと思った」 「……早かったな」 「ええ。お夕飯食べてくるつもりでいたんだけどね、途中で入ったお店に見たことない猫缶があったの。私達ばっかり楽しんできたからキキちゃんとココちゃんにもあげなくちゃと思って」 「そうか……」  その人の視線は下へと向く。ホールに上がったすぐのところにお座りしているキキの顔をやんわり撫でて話しかけた。 「ただいまキキちゃん。どうしたの、そんなところで?」  状況から察するに。いや、推察するまでもなく。  一瞬で冷えた。血管が全部凍った。  お母さんだ。この人絶対に瀬名さんのお母さんだ。どうしよう。まずい。硬直して声が出ない。
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