2 ボタンを押したらサヨウナラ

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2 ボタンを押したらサヨウナラ

「あれか。地味な女だなぁ」 暑さでかげろうが立っている。ハチ公の銅像が見える半蔵門線の入口あたりで二人連れの若い男の片方が言った。  目印――トートバッグ(多分あれはL.L.Beanだ)を肩にかけて白いシャツ、デニム、白に緑のスタンスミス――を満足する女子は、待ち合わせで混雑するハチ公前に幸か不幸か一人しかいなかった。 「やめた!」 「いや、やめたって、おい、恭一、彼女どうすんだよ」 「知らない。来なければ帰るでしょう」 「可哀想だろ。こんなに暑いのに」 慌てる俺を眺めて、それならお前が俺の代わりに一緒にメシ食えよ、とこともなげに恭一はいう。 「嫌だよ、知らない女とメシ食うの苦手なんだよ」 俺は恭一の代わりを押し付けられようとしているのだ。「昼飯食おうよ」というヤツからのメールの呼び出しを疑いもせずに渋谷にやってきた自分を呪った。 「俺、このまま買い物して表参道から帰るわ」 恭一はスマホをだして画面をあけた。『Link』の画面の特徴的な色が見える。何やら一瞬操作をしてすぐにスマホの画面を閉じ、チノの尻ポケットのなかに突っ込んだ。 「何したん?」 「あの女のアカウント削除した。ボタンを押したらサヨウナラってね」 「え、メールとか電話番号とかは」 恭一が爽やかな笑顔を見せた。 「いったいいつの時代に生きてるの、おまえ」 恭一いわく、いまどきメールアドレスや電話番号など交換しなくてもLinkのアカウントさえ知っていれば「全然大丈夫」なのだそうだ。 「俺、もう行くけど、お前どうする? 一緒に行く?」 「遠慮しとく。あちぃし。有栖川の図書館でも行くわ」 「くっそ地味なヤツだな。じゃな」  また爽やかに笑って恭一は圭に手を上げると、渋谷の雑踏の中へ消えていった。俺はハチ公のほうを見た。例の子が首筋をハンドタオルで拭いているのが見えた。  どうしよう、暑そうにしている。いや放っておけ。でも、こんな暑いのに。いや、俺の悩むことじゃない。いや暑い。なんかもう30度超えてるよな。アスファルト嫌いだ。暑い。無理。退散しよう。俺はスクランブル交差点を逃げるように走って渡った。
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