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遠ざかる足音を聞きながら鈴音は椅子に置いていたカップを持って、部屋の端にある二人掛けのソファに座る。
「鈴音って、無愛想だよねえ」
同じくカップを持って隣に座ったセミロングの彼女は「もっと愛想よくしたらいいのに。客商売だよ?」と鈴音の頬を指でつついた。
「僕まで愛想がよかったら区別がつかない」
頬に当たる指を軽く払って鈴音はカップに口をつける。
「そうかなぁ。ちょっと試してみようよ。鈴音も髪を下ろしてさ、クラス入れ替えっこしてみよう。あ、それともわたしがポニーテールにしてみようかな」
彼女は楽しそうに鈴音のポニーテールを手で弾いた。
「しないよ、そんなこと」
そう答えると彼女は「えー」と不満そうに口を尖らせる。
「ぜったい楽しいのに」
「僕は今のままでも充分楽しいよ」
言って、手に持っていた二枚の千円札を揺らす。
「これを飲んだらもう帰ろう。依頼料でケーキでも買おうか」
途端にセミロングの彼女は一気に紅茶を飲み干した。
「ほらほら、鈴音も早く飲んで! わたし、カップ洗ってくる」
慌しく部屋から出て行く彼女の背中を、鈴音は微笑って見送った。そしてのんびりとカップを傾けながら部屋を見回す。
十数年前まで音楽室として使われていた部屋には五線譜の黒板がある。鈴音は立ち上がって黒板の前に立つとチョークで今日の日付を書いた。日付の後に『一』という漢数字。とくに意味はない。ただの記録だ。
「まだ飲んでるのー?」
廊下から声が聞こえた。
「いま行くよ。美鈴」
そう声をかけ、鈴音はぬるい紅茶を一気に飲み干した。
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